名古屋地方裁判所 昭和48年(ヨ)1215号
申請人
山下泰雄
右代理人弁護士
伊神喜弘
同
山本秀師
同
平野保
同
服部優
同
山田敏
右伊神喜弘復代理人弁護士
今井安榮
被申請人
東海カーボン株式会社
右代表者代表取締役
伊藤國二郎
右代理人弁護士
佐治良三
同
後藤武夫
同
林雅己
同
来間卓
右佐治良三復代理人弁護士
建守徹
同
太田耕治
同
渡辺一平
主文
一 被申請人は申請人に対し、金七五〇万円を仮に支払え。
二 申請人のその余の申請をいずれも却下する。
三 申請費用は被申請人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
(申請の趣旨)
一 申請人が被申請人に対し労働契約上の権利を有することを仮に定める。
二 被申請人は申請人に対し、金一八七八万二六〇四円及び昭和五七年八月以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一ケ月金一七万一四〇〇円の割合による金員を仮に支払え。
(申請の趣旨に対する答弁)
一 申請人の本件申請はいずれも却下する。
二 申請費用は申請人の負担とする。
第二当事者の主張
(申請の理由)
一 当事者
1 被申請人(以下会社ともいう)は、人造黒鉛電極、カーボンブラック、電解板等の製造販売を目的とする資本金三六億円の会社である。昭和四八年当時、会社は、本社のほか東京、大阪、名古屋、福岡の四支店及び茅ケ崎、名古屋、知多、中越、京都、防府、九州若松、田ノ浦の八工場を有しており、全従業員数は約一八〇〇名で、このうち名古屋工場所属の従業員数は約二九〇名であった。なお、会社は昭和五〇年六月一日商号を「東海電極製造株式会社」から現商号に変更した。
2 申請人は、昭和二三年三月四日生れで、昭和四一年三月熊本県立水俣工業高等学校を卒業後同年四月一日会社に雇用され、以来名古屋工場において勤務してきた。
二 申請人の解雇
会社は、申請人を解雇したとして昭和四八年四月一二日以降申請人が会社に対し労働契約上の権利を有することを争っている。
三 申請人の賃金請求権
1 会社は自己の責に帰すべき事由により労務の受領を拒否しているから、申請人は会社に対し民法五三六条二項により本件解雇の翌日である昭和四八年四月一二日以降も就業規則及び労働協約に基づく月額給与及び一時金の支払を請求する権利を有している。
2 月額給与
(一) 会社は従業員に対し毎月二五日に前月二一日から当月二〇日までの分の月額給与を支給しているところ、申請人が昭和四八年三月当時支給を受けていた月額給与は一ケ月五万五七一〇円であり、その明細は次のとおりであった。
本給 四万〇一〇〇円
加給 一万〇七〇〇円
勤務地手当 三五六〇円
特別作業手当 一三五〇円
通勤手当 一八〇〇円
なお、右のうち本給、加給、勤務地手当が基準内賃金である。
(二) 申請人に支払われるべき昭和四八年四月から同五七年三月まで及び同年四月以降の月額給与の額は別表(略)一記載のとおりであり、昭和四八年四月一二日から同五七年七月二〇日までの間の月額給与の合計額は一三三六万七二六〇円である。
3 一時金
(一) 会社は従業員に対し、昭和四八年度から同五六年度まで毎年夏季一時金及び冬季一時金を支給したが(支給日は別表二記載のとおり)、申請人に支払われるべき右各一時金の額は別表二の一時金欄記載のとおりである。
(二) 右のほか会社は従業員に対し昭和四九年六月一五日、同五〇年六月五日及び同五二年六月七日にそれぞれ一時金を支給したが、申請人に支払われるべき右一時金の額は別表二のその他欄記載のとおりである。
(三) 従って、申請人に支払われるべき右各一時金の合計額は五四六万七四六〇円である。
4 申請人に支払われるべき昭和四八年四月一二日から同五七年七月二〇日までの間の月額給与及び昭和四八年度夏季一時金から同五六年度年末一時金までの間の各種一時金の合計額は、一八八三万四七二〇円であるところ、申請人は被申請人から右金員のうち五万二一一六円を既に受領しているので、未払額は一八七八万二六〇四円である。
四 保全の必要性
申請人は、会社から支給を受ける給料を唯一の生活の糧としていた労働者であって、資産も殆どなく、本件解雇により給料の支給を受けられなくなったため、その生活は急迫かつ強暴に侵害されている。また、申請人は、本件解雇後会社から会社の従業員として受けるべき種々の利益も剥奪されている。更に、組合活動の面においても申請人が一刻も早く会社に復帰する必要がある。
なお、申請人は昭和五二年頃から土川運輸にアルバイトとして勤め、現在は庄内運輸株式会社(以下庄内運輸という)の正規従業員として働き、多い時で一ケ月手取り約一四万五〇〇〇円の給料を得ているが、これは自己の生活及び本件訴訟の維持並びに本件解雇後生じた借金の返済のためのやむを得ない措置であり、かつ、申請人としては庄内運輸に永続して働く意思はなく、裁判所の救済が得られれば原職に復帰するのであるから、右稼働の事実は保全の必要性を否定する事由にはならない。申請人の現況は、本件解雇後生じた借金の返済の目処がようやく立ってきたところであり、その年令からして結婚も考えなければならず、郷里の母親に生活援助もする必要があるので、年二回のボーナス収入を加えて何とか赤字を避けられる程度である。また、申請人は自動車を所有しているが、現在では生活するうえで自動車を持つことは殆ど不可欠に等しいから、右事実も必要性判断の消極的事情にならない。
《以下事実略》
理由
一 当事者等について
次の事実は当事者間に争いがない。
1 会社は、人造黒鉛電極、カーボンブラック、電解板等の製造販売を目的とする資本金三六億円の株式会社であって、昭和四八年当時本社のほか東京、大阪、名古屋、福岡の四支店及び茅ケ崎、名古屋、知多、中越、京都、防府、九州若松、田ノ浦の八工場を有しており、全従業員数は約一八〇〇名、そのうち名古屋工場所属の従業員数は約二九〇名であった。なお、会社は、昭和五〇年六月一日商号を「東海電極製造株式会社」から現商号に変更した。
2 申請人は、昭和二三年三月四日生れで、昭和四一年三月熊本県立水俣工業高等学校を卒業した後、同年四月一日会社に雇用され、以来名古屋工場において勤務してきた。
3 会社には、その従業員で組織されている組合があり、申請人は入社以来本件解雇に至るまでその組合員であった。昭和四八年当時、組合は、東京に本部を、本社及び前記各工場に支部を有しており、組合員数は約一六〇〇名、そのうち名古屋支部の組合員数は約二八〇名であった。また、組合は合成化学産業労働組合連合に加盟している。
二 会社の申請人に対する解雇の意思表示について
会社が昭和四八年四月一一日上月孝雄名古屋工場長において申請人に対し、「昭和四八年一月二五日および昭和四八年一月二七日に総務課事務所において並びに昭和四八年二月一三日に南電炉工場において、職務上の指示に不当にしたがわず、職場の秩序をみだし、暴行脅迫を加え業務を妨害した。よって就業規則第八〇条第三号、第四号および第一〇号にもとづき即時解雇に処する。」旨記載した辞令を読み上げて即時解雇の意思表示をし、解雇予告手当五万二一一六円及び昭和四八年三月二一日から同年四月一一日までの間の手渡し賃金三万一二七〇円を提供したが、申請人がその受領を拒否したため、同年四月一二日右金員を名古屋法務局に供託したことは、当事者間に争いがない。
三 本件解雇事由の有無について〔56~57頁参照―編注〕
1 昭和四八年一月二五日の申請人の言動について
当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、抗弁二2(一)の(1)ないし(8)の事実が一応認められ、(証拠略)の記載及び申請人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
2 同年同月二七日の申請人の言動について
当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、抗弁二2(二)の(1)ないし(3)の事実が一応認められ、申請人本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
3 同年二月一三日の申請人の言動について
当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、抗弁二2(三)の(1)ないし(3)の事実が一応認められ、(証拠略)の記載及び申請人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
四 本件解雇事由の就業規則該当性の有無について
会社には昭和三八年一月二一日から実施されている就業規則があり、その七五条において従業員に対する懲戒を、けん責、減給、出勤停止及び即時解雇の四種とする旨定め、八〇条に即時(懲戒)解雇事由を定めていること、また、会社と組合間の労働協約にも即時解雇事由が定められていることは、当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、就業規則八〇条には、「社員が次の各号の一に該当するときは即時解雇に処する。ただし、情状によっては停職に止めることがある。」として、その三号に「職務上の指示に不当にしたがわず、職場の秩序をみだしたとき」、四号に「他人に対し暴行脅迫を加え、またはその業務を妨害したとき」、一〇号に「前各号に準ずる行為のあったとき」と定められていることが、一応認められる。
しかして、前記三項で認定した昭和四八年一月二五日、同月二七日及び同年二月一三日の申請人の言動は、就業規則八〇条三号及び四号に該当するものというべきである。
五 懲戒手続違反の主張について
1 当事者間に争いのない事実
会社においては、会社と組合との労働協約により、会社が組合員を懲戒に処そうとするときは、懲戒諮問委員会に諮問するものとされていること(協約二六条二項)、右委員会は懲戒を公正に行なうことを目的として人事権者の諮問に基づき懲戒の適否とその程度を答申するため設けられるものであり(協約三一条)、その構成は、執務一級以上の組合員以外の組合員(申請人もそれに該当する)の懲戒に関する事項をつかさどる地方懲戒諮問委員会の場合は事業場及び組合支部を代表する者各々三名をもってその都度組織されること(協約三二条)、会社は昭和四八年三月二八日組合名古屋支部に対し、「付議事項山下泰雄社員の48・1・25と48・1・27並びに48・2・13の言動について(於総務課事務所内南電炉工場)開催希望日時昭和四八年三月三一日午前九時より」と諮問委員会の開催を申入れたこと、翌二九日会社は支部に対し諮問委員長として紋谷敬人工務課長、委員として上田照雄技術課長、小田桐洋一労働係員を選任した旨通知し、支部は同日頃評議員会を開催して下山秀義支部執行委員長、中村謙治支部書記長、中川真幸支部執行委員を諮問委員として選任し、その旨会社に通知したこと、諮問委員会は同月三一日を第一回として以後同年四月二日から五日まで合計五回開催され、同月五日申請人を即時解雇とする旨の答申を会社にしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
2 申請人からの事情聴取手続及び弁明手続不履践の主張について
(一) 事実関係
労働協約三六条に「委員会は、議事を行なうために必要あると認めたときは、本人および関係者ならびに参考人に対して出頭を命じ、または必要な調査をおこなうことができる。」旨、同三七条に「委員会においては、必ず本人に弁明の機会を与えなければならない。」旨定められていること、第一回目の委員会において各委員が、選出母体の利益代表としてではなく、厳正中立に判断すべきことを確認し合ったこと、昭和四八年四月三日に開催された委員会において、紋谷委員長ら各委員が申請人から事情聴取をするに先立って申請人に対し労働協約三八条に基づいて秘密を守ることを約束するよう要求したが、申請人が右要求を拒否したこと、同日委員会が申請人から事情聴取をしなかったこと、同月四日に開かれた委員会において申請人から諮問対象事実の具体的内容について質問があったが、委員会としては、それを説明する前に秘密遵守の約束をして欲しいと要求したこと、申請人が右要求を拒否したこと、同日委員会が申請人から弁明を聞かなかったこと、委員会には弁護人の制度がなく、また委員会が関係者や参考人から事情聴取をする際に、懲戒対象者本人が立会う権利は保障されていないこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
右1項及び2項(一)の当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が一応認められる。
(1) 昭和四八年三月三一日第一回委員会が開かれ、最初に紋谷委員長が諮問内容について詳しい説明をし、次いで小田桐委員が自己の見聞した範囲内で補足説明をした。右説明について、各委員の間で意見交換や質疑応答があった後、労働協約中の諮問委員会に関する条項を逐条的に検討し、本件については十分に時間をかけて審議すること及び委員として選出された以上、選出母体の利益代表としてではなく厳正中立に判断すべきことを確認し合った。また、今後の進め方について最初に関係者から事情聴取をした後、申請人から事情聴取し、両者の間に喰い違いがあった場合には参考人に事実関係を確かめ、最後にもう一度申請人を呼んで弁明させるという方針を立てた。なお、その際、支部代表委員から、委員会の席上で事実を正確に調査したいので事前に事情調査はしてこなかった旨の話があった他、審議の席へのテープレコーダーの持ち込みは認めないこと及び審議の途中で委員会としての意思統一を必要とする事項で各委員の判断に余るような事態が生じたときは、その都度委員が別室で協議してから委員会を再開することが申し合わされた。
(2) 同年四月二日第二回委員会が開かれ、委員会は申請人の総務課事務所における同年一月二五日の言動について和泉労働係長、山上総務課長、林製造課長及び櫟原電炉係長から、同月二七日の言動について和泉係長及び山上課長からそれぞれ関係者として事情聴取をした。
(3) 翌三日第三回委員会が開かれ、委員会は申請人の総務課事務所における一月二七日の言動について井神工程係長から、二月一三日の南電炉工場における言動について櫟原係長から、右同日の言動及び一月二五日の朝申請人が職場を離れたときの状況について田中電炉係組長からそれぞれ事情聴取をした。
その後、委員会は、諮問対象事実について申請人から事情聴取をするとともに申請人に弁明させる目的で同日午後一時一五分頃申請人を呼び(その際、申請人は米倉電炉係工長から、「第一応接室へ行ってくれ。」といわれただけで、用件は全く知らされていなかった。)、最初に紋谷委員長が申請人に対し、「今ここで開かれているのは労働協約に基づいた懲戒諮問委員会であり、申請人から事情聴取をするために来て貰った。」旨説明するとともに、「労働協約三八条(『委員会の委員または委員であった者、もしくは本人、関係者または参考人は、その職務に関して知りえた秘密を漏らしてはならない。』との規定)に定められているとおり秘密を守ることを約束して欲しい。」と要求したところ、申請人と各委員との間で次のようなやりとりがあった。
申請人「密室に連れ込んで何だ。秘密を守る約束はできない。」
工場代表委員(支部代表委員に対し)「秘密を守るよう申請人を説得して欲しい。」
支部代表委員「秘密を守ることを約束して欲しい。」
申請人(支部代表委員に対し)「組合は組合員を擁護するためにあるんだ。俺は組合員だ。俺が今懲戒にされようとしているのに、組合はどう考えているんだ。」
小田桐委員「それは議事違いだ。」
申請人「お前に聞いているんじゃない。組合側委員に聞いているんだ。」
小田桐委員「労働協約三六条で委員会は調査の強制権限があるんだ。君は労働協約を守らないのか。」
申請人(小田桐委員に対し)「何だ。いい年をしてヒステリックな。お前の人間性に聞きたい。どうなんだ。」
(支部代表委員に対し)「組合は俺がこんな密室に連れ込まれて懲戒されようとしているのにどう思っているんだ。組合は事情調査したのか。」
支部代表委員「この席上で事情調査をしていくんだ。だから秘密を守るという約束をしてくれ。」
右の間、申請人は、委員らから着席を促されたが、立ったまま座ろうとせず、また次第に興奮して大声を出したり、小田桐委員のすぐそばに来て目の前に指を突きつけたりした。
紋谷委員長は、申請人が各委員の説得に応じないため、「もう五分間待つ。その間よく考えて約束してくれ。」と述べ、各委員においても更に説得を重ねたが、結局申請人はこれに応じなかった。そこで、紋谷委員長は委員会としての対処方法について協議するべく申請人に対し、「別室で協議するから、君はここで待っていなさい。」と指示して各委員とともに第一応接室を出たところ、申請人も一緒に右部屋を出てしまい、委員長や委員らの制止の言葉を無視して同日午後一時四五分頃退去した。
その後、委員会は、申請人の一月二五日の言動について木村事務係員から、同月二七日の言動について西脇事務係員と松井加工係長から、二月一三日の言動について森検査係組長から、それぞれ参考人として事情聴取をした。
(4) 翌四日第四回委員会が開かれ、委員会は申請人から弁明を聞くため午後一時四〇分頃申請人を呼んだ。
最初に、紋谷委員長が申請人に対し、「この委員会は昭和四八年一月二五日と二七日の君の事務所での言動と二月一三日の南電炉での言動について諮問を受けている。今日は弁明の機会を与えるため来て貰った。」と説明したところ、申請人から、「二月一三日は何曜日だ。会社側委員は誰か。」などの質問があったため、支部代表委員がこれに答えた。続いて、申請人と各委員との間で次のようなやりとりがあった。
申請人「一月二五日の事務所での言動とはどの言動だ。」
委員「それを説明する前に労働協約三八条を守ると約束してくれ。」
申請人「自分の利益になることでないと承知できない。裁判所でも黙秘権があるんだ。あくまでも不利益になることは約束できない。労働協約よりも国のルールである労働基準法を優先させるべきだ。お前達は処分することを前提に審議している。憲法に則ってやるべきだ。」
委員「黙秘権は今関係がない。当社の労働協約が基準法や憲法にどう違反しているんだ。私達は違反していると考えていない。君は労使で結んだ労働協約を守るという約束もできないのか。労働協約三八条を守ると約束してくれ。約束しなければこれ以上議事に入っていけない。」
申請人「秘密、秘密というけれども三八条の(設けられた)背景を考えるべきだ。三八条は無原則的に秘密といっているのではなく、秘密というのは会社の機密と(それが漏れると)本人の名誉を著しく傷つける場合だ。例えば(本人が)婦女暴行を行なったときなどだ。俺はこの委員会で話したこと、話されたことを皆に公表し、全組合員の意見を問うつもりだ。」
小田桐委員「三八条の背景など考える必要はない。秘密を守るかどうかが問題であり、君の質問に応じる必要はない。」
右のように、各委員と申請人との間のやりとりは平行線をたどり進展しなかったため、紋谷委員長は申請人に対し、「この問題について委員だけで別途協議するから、ここで待っていなさい。」と指示し、各委員とともに隣室に入ったが、申請人も同室に入り込み委員長の前に立ち塞がったため、やむなく元の席に戻った。
そして、委員らは更に申請人に対し労働協約三八条を守るよう説得し、最後に紋谷委員長が「もう一分間待つ。」と時間を区切ったが、結局申請人が態度を変えなかったため、審議打切りを宣し、午後二時三〇分頃申請人を職場に帰した。その後、委員会は、申請人に対しては既に弁明の機会を与えたから、もう一度申請人を呼ぶ必要はない旨全員で確認するとともに、懲戒の適否と程度について検討した。
(5) 翌五日第五回委員会が開かれ、委員会は前日に引続き懲戒の程度について検討した。その結果、即時解雇が相当である旨全員一致で議決し、答申書を作成した上、午後四時前に人事権者である上月孝雄名古屋工場長に提出した。
(6) ところで、本件以前に名古屋工場においては昭和四四年から同四六年までの間に合計八回諮問委員会が設けられたが、いずれの場合も本人、関係者及び参考人から事情聴取をしたり、本人から弁明を聞く際には委員長より各人に対し協約三八条に基づく守秘義務の確認を求めていたものであり、これに対し異議を述べた者はなかった。また、右三八条の解釈適用について、中央労働協議会や地方労働協議会(労働協約の適正な運用と労働条件に関する事項を円満に解決し、労使関係の安定を図る目的で労働協約に基づき設けられているもので、本社におかれる中央労働協議会は会社及び組合を代表する者によって、各事業場におかれる地方労働協議会は事業場及び支部を代表する者によって組織される。)において組合側から問題提起がなされたこともなかった。
以上の事実が一応認められ、(人証略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
(二) 労働協約三八条(守秘義務の規定)の効力の有無及び解釈について
右(一)項において認定した事実関係によれば、申請人からの事情聴取手続及び弁明手続は、諮問委員会が右各手続に入るに先立って申請人に協約三八条に基づく守秘義務の確認を求めたのに対し、申請人が右要求に応じなかったことから紛糾し、そのため結果的に右各手続に入るに至らなかったことが明らかであるところ、申請人は、右三八条の規定のうち少なくとも懲戒対象者本人(以下本人という)に守秘義務を課している部分は本人の防禦権を否定するものであって無効であると主張するので、以下この点について判断する。
一般に、労働協約は、労使の合意によって成立するものであるから、各条項の効力の有無を判断するに当っては、その内容が強行法規や公序良俗に反しない限り労使の合意を尊重してできるだけ有効なものとして取扱うのが相当であり、字句通り解釈すると不当、不合理な結果を招く場合には、労使が当該条項を定めた目的、事情、労使間の慣習・慣行、任意法規、信義誠実の原則(条理)等を標準として合理的、制限的に解釈するのが相当である。
そこで、協約三八条が定められた目的の点から検討するに、(人証略)によれば、委員会の委員、委員であった者、関係者及び参考人(以下委員等という)に守秘義務を課した目的は、第一に本人の名誉を保持するため、第二に委員等が委員会での発言を理由に後日会社又は組合から不利益に取扱われることのないよう配慮するため、第三に委員等が委員会での発言を理由に本人から理不尽な報復を受けることのないよう制度的に保障するためであることが一応認められるから、委員等の関係では、右条項にいう「職務上知り得た秘密」とは、委員会に委員等として関与したことによって知り得た本人の氏名、諮問対象事実、情状に関する事実のうち本人の名誉やプライバシーに関するもの、委員会における委員等の発言で、それが外部に漏れた場合に委員等が会社又は組合から不利益に取扱われたり、本人から理不尽な報復を受ける虞れがあるものをいうと解するのが相当である。次に、本人に守秘義務を課した目的は、右の三つの理由のうち第二の理由によるものと解されるから、本人の関係では、右条項にいう「職務上知り得た秘密」とは、委員会に出頭したことにより知り得た委員会における委員等の発言で、それが外部に漏れた場合に委員等が会社又は組合から不利益に取扱われる虞れがあるものをいうと解するのが相当である。もっとも、本人には条理上防禦権が認められてしかるべきであるから、右のような委員等の発言であっても、自己の親族や弁護士等社会通念上本人と同一視し得る範囲内の者に告げるのはもとより守秘義務違反にはならないし、委員等の発言内容が明らかに事実に反する場合などのように自己の正当な防禦権行使のためやむを得ない必要があるときは、組合や自己の支援者に委員等の発言内容を伝えて対応策を講じることも許されるというべきである。
しかして、協約三八条のうち本人に守秘義務を課している部分を右のように制限的に解釈すれば、右部分は合理的な存在理由があり、かつ、本人の防禦権を不当に制限するものではないから、公序良俗に反せず、有効な規定というべきである。
(三) 懲戒手続違反の有無について
前認定の事実関係によれば、本件において諮問委員会は、申請人に対し諮問対象事実の具体的内容を説明する前提として協約三八条の守秘義務の確約を求めていること及び申請人が協約三八条の設けられた趣旨、目的からして同条にいう秘密遵守義務は無限定的なものではないと反論したのに対し、三八条の背景(趣旨、目的)など考える必要はないと答えていることから明らかなように、本人の守秘義務の範囲を条文の字句どおり形式的に広く解釈し、申請人が委員会に出頭したことによって知り得た一切の秘密を申請人以外の他の者に漏らしてはならないと考えていたものといわざるを得ないのであって、協約三八条の解釈を誤り、申請人の防禦権に対する配慮に欠けていたものというべきである。
諮問委員会としては、申請人に対し守秘義務の確約を求めるに当っては、右義務の範囲に前述のような合理的な制限のあることを説明すべきであったにも拘わらず、これをしないで申請人に対し協約三八条を守るか否かを二者択一的に迫ったのであるから、申請人が自己の不利益になる約束はできないとして守秘義務の確約をしなかったのはむしろ当然であったというべきである。更に、もともと本人には懲戒の適否、程度に関する各委員間の審議や委員会の関係者、参考人からの事情聴取手続に立ち会う権利は保障されておらず、委員等の発言内容を知り得る機会は少ない上、委員会としては、本人があくまでも守秘義務の確約をしない場合には、本人から事情聴取したり弁明を聞く際に先に事情聴取した関係者や参考人の氏名を伏せるなどの秘密漏洩防止策を講ずることも可能であるから、本人の守秘義務確約を事情聴取及び弁明手続開始の前提条件としなければならない程の必要性はないというべきである。この点に関し、被申請人は、申請人には過去に委員会における一部委員の態度を漏らした前歴があった上、本件の委員会における申請人の粗暴かつ険悪な態度からして、委員等の発言内容等を漏らして同調者の報復心を扇動する虞れがあったから、事前に守秘義務の確約を求める特段の必要性があったと主張するので検討するに、(証拠略)によれば申請人は昭和四四年一一月一四日から同月一八日まで事前届出の手続を経ず、かつ、正当な理由なく欠勤したとして同年一二月二九日会社から減給の懲戒処分を受け、(申請人が昭和四四年一二月右処分を受けたことは、争いがない。)翌三〇日「この処分がいかにデタラメであり、組合執行部の懲戒委員会での態度がいかに反労働者的であるかを訴える。会社・組合一体となって反戦派パージを策しているのだ。彼らを断固糾弾し、減給処分を徹底的に粉砕しよう。」などと記載したビラを会社従業員らに配布したが、右ビラには諮問委員会における委員等の具体的な発言内容は何ら記載されていないことが一応認められるから、申請人が右ビラを配布したことをもって直ちに協約三八条にいう「秘密を漏らし」たものといい得るかどうか疑問である上、「彼らを断固糾弾し」という言葉も、労働運動などでは往々にして用いられる常套文句であって、これをもって特定の個人に対する不当な報復を扇動したものということはできない。また、本件の委員会における申請人の感情的言動は、委員会が事情聴取及び弁明手続に入るに先立って前認定のような不適切な方法で守秘義務の確約を迫ったことに主たる原因があったのであるから、申請人の右言動をもって被申請人主張の特段の必要性の一事由とすることは、本末転倒といわざるを得ない。よって、被申請人の右主張は理由がない。
以上要するに、本件において諮問委員会が、申請人から弁明を聞くに先立って申請人に対し前認定のような態様で守秘義務の確約を求め、申請人がこれに応じなかったことを理由に弁明手続に入らなかったのは、協約三八条の解釈適用を誤ったものであって、結局委員会の責に帰すべき事由により申請人に弁明の機会を与えなかったものといわざるを得ないから、協約三七条に違反したものというべきである。同様の理由により、委員会が申請人から事情聴取をするに先立って守秘義務の確約を求め、申請人がこれに応じなかったことから結局事情聴取をしないままに終った点も適切さを欠いたものといわざるを得ないが、協約三六条の規定上、委員会が本人、関係者及び参考人から事情聴取をするか否かはその裁量に任せられている上、本件において委員会は諮問対象事実について合計九名の者から関係者及び参考人として事情聴取しており、充分な調査をしたものと評価し得ること及び申請人にも委員長や委員らの制止の声を無視して委員会の席から勝手に退去した点に落度があることを併せ考えると、委員会が本人から事情聴取をしなかったことをもって直ちに懲戒手続違反ということはできない。
(四) 懲戒手続違反が本件解雇の効力に及ぼす影響について
本件労働協約における諮問委員会に関する条項は、客観的な制度・機関の組織及び運営を定めたいわゆる制度的・組織的部分に属するものと解するのが相当である。しかして、本件諮問委員会制度は、労使間の協約により、会社が組合員を懲戒に処そうとするときは、会社、組合各同数の委員で構成される諮問委員会に諮問しなければならないとすることによって、会社による懲戒権の行使に組合の意向も反映させ、もって懲戒権の行使の公正を確保し、組合員の地位と利益を守ることを目的としたものであるから、懲戒権の行使に右制度の目的に反する重大な手続違反があったときは、その懲戒は、特段の事情のない限り適正手続違反として無効であると解するのが相当である。
そこで、本件における弁明手続不履践の手続違反が本件解雇を無効たらしめるものであるか否かについて考えるに、会社及び組合が協約三七条で「委員会においては、必ず本人に弁明の機会を与えなければならない。」と定めたのは、本人に対し諮問委員会における弁明の機会を保障することが懲戒権の行使の公正を確保するために必要不可欠と考えたためであることが明らかであるから、弁明手続の不履践は、特段の事情のない限り、諮問委員会制度の目的に反する重大な手続違反というべきである。
よって、特段の事情の有無について更に検討するに、前認定のとおり本件以前に名古屋工場において設けられた合計八回の諮問委員会においてはいずれの場合も本人から弁明を聞く際に本人に協約三八条に基づく守秘義務の確約を求めていたが、これに対し異議を述べた者はなく、また、右条文の解釈適用について中央労働協議会や地方労働協議会において組合側から問題提起がなされたこともなかったのであるから、本件において、諮問委員会が過去の例にならって弁明手続に入るに先立ち申請人に守秘義務の確約を求めたことをもって委員会を強く非難することはできないし、委員会が右規定の解釈適用を誤った点についても、規定自体に前述のような形式的な解釈を生ぜしめる不備があったにも拘わらず、これまで組合側が何ら問題としなかったことにも原因があったというべきである。更に、本件において工場代表委員のみならず支部代表委員も、申請人に対し守秘義務の確約を求め、申請人がこれに応じなかったことを理由に、申請人に弁明の機会を与えたのに申請人がこれを利用しなかったものと判断したことも併せ考えると、本件における弁明手続の不履践については組合側にも責任の一半があるといわざるを得ないから、右手続違反により直ちに本件解雇が無効になるものと解するのは相当でなく、右手続違反は、解雇権濫用の有無の判断に当って斟酌すべき一事由たるにとどまるものというべきである。
3 本部代表委員が組合代表として労働協約上期待されている組合員の権利擁護の任を果たさなかったことが懲戒手続違反になるとの主張について
本件において、仮に申請人主張のとおり支部代表委員が組合員の権利擁護の任を果たさなかったとしても、それは、組合内部における支部代表委員の組合に対する責任の問題に過ぎず、懲戒手続違反を構成しないことが明らかであるから、申請人の右主張はそれ自体失当といわざるを得ない。
六 不当労働行為の主張について
(事実関係)
1 申請人の入社後の職務内容、電炉係の職場環境及びその改善、従業員の定着率、電炉係所属従業員の在職中及び退職後における死亡例について
(一) 申請人の職務及び作業内容
(1) 申請人が入社後昭和四一年五月一〇日まで名古屋工場において新入社員教育を受けた後、同工場製造課電炉係に配属されたこと、右係における申請人の職務及び作業内容が次のとおりであったことは、当事者間に争いがない。
昭和四一年五月~同年六月
北電炉 ケレン検査
同年六月~昭和四二年六月
北電炉 詰出
昭和四二年六月~同四四年八月
南電炉 詰出
昭和四四年八月~同四五年八月
南電炉 クレーン運転
昭和四五年八月~同四八年四月
南電炉 ケレン検査
(2) 電炉係の業務は、一口にいえば、炭素棒を炉に詰め、電気をかけて黒鉛化する作業であり、炉には通常長さ一五〇〇mm、直径一五〇mmないし二〇〇mmの炭素棒が詰め込まれ、その間に黒鉛粒が充填され、電気がかけられること、このようにして黒鉛化された炭素棒は、温度が下げられた後、クレーンで炉から引出され、フォークリフトでケレン場と呼ばれる場所に運ばれること、申請人の従事していたケレン検査業務は、ケレン場に運び込まれた黒鉛棒に付着している黒鉛粒(直径三mmないし一〇mm)をスコップ又はケレン用鋸刃等でかき落すケレン作業を行ないながら、黒鉛棒に割れがないか、燃えていないか等を検査するものであること、会社には現務員と呼称される高齢の従業員が存在しており、ケレン検査業務にも現務員が配置されていること及びケレン検査業務従事者に特殊作業手当が支給されていることは、当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、更に次の事実が一応認められる。
(ア) 電炉係は、北電炉、南電炉、変電所、滲透の四つの職場に別れており(但し、滲透業務は、以前は一つの係として独立していたが昭和四五年四月頃電炉係に組込まれたもの)、北電炉では主に電解板とトーカーベイトの黒鉛化作業を、南電炉では主に電極棒(黒鉛棒又は丸棒ともいう)と太物電解板の黒鉛化作業を行なっている(なお、南電炉では電極棒が中心であり、昭和四八年の場合電極棒は南電炉の全生産数量の約八割、全生産重量の約九割を占め、電解板はその数量、重量とも全体の七パーセント余に過ぎなかった)。
(イ) ケレン検査業務には、電極棒のケレン検査のほか、電解板のケレン検査、青ごなし作業(硅砂とブリーズを混合して作られた「青」と称する断熱材の固まったものを粉砕機で粉砕する作業)、電極棒をフォークリフトで次の工程の加工場へ運ぶ際の先手作業、その他掃除等の雑用がある。
南電炉で行なわれる電極棒のケレン検査のうち、直径四インチ以下の小物の電極棒については建屋内の炉の前の通路でケレン用鋸刃(金鋸の刃部分をグラインダーで削り取りケレン用に改造したもので、厚さ約一mm~二mm、長さ約四〇〇mm、幅約二〇mm~三〇mm)を用いて黒鉛粒(パッキングともいう)を削り落し、直径五インチ以上のものについてはケレン場でスコップを用いたり、電極棒をコンクリート床面に転がしたりして黒鉛粒を取除く。電解板のケレン検査は、ケレン場において電解板(重さ約一〇kg~八〇kg、平均重量は約三〇kg)の各面に付着した黒鉛粒をスコップやケレン用鋸刃を用いて削り落すが、電極棒と異なり床面に転がす方法によって黒鉛粒を取除くことができないため、電極棒より手間、労力を要する。また、電極棒や電解板にカーボランダムが付着したときは、黒鉛粒よりも取除くのが困難なため、金鎚や鉄棒(長さ約三〇cm、重さ約一kg)を用いて取除くが、カーボランダムの付着はたまにしかなく、南電炉における昭和四八年の全生産量のうちカーボランダムの付着割合は、数量、重量とも〇・一パーセントに過ぎなかった。
(ウ) ケレン場には屋根があり、西側を除いてはすべて壁または通路となっているため、風雨を凌ぐことができるが、西側のシャッターは普段巻き上げられているため、西風の強いときは風雨がケレン場内に吹き込むことがある。また、前記の先手作業は、南加工工場東側及び西側置場において、フォークリフトで運ばれたケレン検査済みの電極棒を高さ約八〇cm、幅約一m、長さ約二〇mの台上で整理する仕事であるが、西側置場には屋根がないため、雨天のときは雨合羽を着用して行なう。
(エ) 電炉職場の仕事については変電所勤務者を除きすべて一級ないし四級の特殊作業手当が支給されるが、申請人の従事していた黒鉛化ケレン検査には年間を通じて最低の等級である四級の特殊作業手当が支給されている(因みに一級の特殊作業手当は電炉詰出作業に、二級はピッチ滲透作業に支給される)。現務員は、雇用期間が六ケ月以下で、ケレン、運搬、雑役その他補助的作業に従事する高齢(約五六歳から約六五歳)の臨時従業員であるが、昭和四五年当時南電炉のケレン検査及びパッキング処理には現務員二名及び正規従業員二名が従事していた。また、ケレン検査作業は、作業内容が簡単なため、電炉職場に配属された新入社員に最初につかせる作業として選ばれている。
以上の事実が一応認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
(二) 電炉係の職場環境及びその改善について
(証拠略)によれば、次の事実が一応認められる。
(1) 粉塵の発生について
変電所以外の電炉職場における作業は、すべてじん肺法所定の粉じん作業に該当するが、各作業別の粉塵の発生状況は次のとおりである。
(ア) 詰め作業時
炉に詰めるパッキングには粒状のものと粉状のものの二種類があり、粒パッキングを詰める際の粉塵の発生量は比較的少ないが、粉パッキングを詰める際はかなりの粉塵が発生する。そのため、粉パッキングを炉壁と製品との間に詰めるときは、昭和四四年以前から粉塵補集用具を用いて粉塵を補集している。
(イ) 青取り作業時
炉に電流を流し終ってから約四日後に、炉の中の固まった「青」をバール及びスコップを用いて剥がし取るが、その際粉塵が発生する。なお、青取りの段階では炉がまだ高温のため、水を少量づつ撒くとともに、作業者の後から扇風機で風を送るが、建屋が低いため集塵機が充分設置されていなかった当時は、扇風機の風で一旦舞い上がった粉塵が舞い戻る状況にあった。
(ウ) 粒及び粉パッキング出し作業時
パッキングの大半はグラブバケット(昭和四五年以後は電動グラブバケット)という金属容器を用いて取出し、残りをスコップで取出すが、スコップを用いる際にかなりの粉塵が発生する。
(エ) 製品出し作業時
製品を炉から取出す際、製品の周囲に詰められている粒パッキングが崩れ落ちるため、粉塵が発生するが、発生量は少ない。
(オ) ケレン作業時
ケレン作業時にも粉塵が発生するが、電極棒や電解板に付着しているのは粒パッキングであるため、粉塵の発生量は比較的少ないが、炉間やケレン場等に堆積したパッキングを掃除する際は、かなりの粉塵が発生する。
以上のように粉塵が発生するため、作業者は年間を通じてマスクをはめ、長袖シャツ及びズボン二枚を着用して作業するが、申請人が稼働していた当時は、顔のように露出している部分はもとより、衣類で覆われている部分も粉塵の付着によって黒くなり、また、鼻腔、口腔、気道内にもマスクを通して粉塵が入るため、唾や痰が黒くなる状態であった。
(2) 高温作業について
電流を通し終った炉の上に登って炉内から「青」、パッキング及び製品を順次取出す作業の際は、炉内温度がまだ高いため、かなりの高温下での作業であり、発汗が著しい上、履いている高下駄が自然発火したり、バールの先が熱でオレンジ色に変わることがしばしばある。なお、ケレン作業は、通常炉出し後一日放置して常温になった製品を取扱うため高温作業ではない。もっとも、急ぎの製品の場合は、極くまれに炉出し日にケレンをすることがあるが、その場合は散水して冷やしながら行なうため危険はない。
(3) ガスの発生について
炉に電流を通すと、炉内から亜硫酸ガス、炭酸ガス、ベンツビレン等のガスが発生するが、北電炉では昭和三八年頃から送電時に炉の上に蓋をかぶせてガスの燃焼、補集をはかっており、南電炉でも昭和四四年に炉蓋を設置したので、それ以後はガスが作業者に影響を及ぼすことは殆どない。
(4) 職場環境の改善について
(ア) 組合名古屋支部は職場の改善について毎年秋に全職場を対象にアンケートをとり、それに基づいて執行部案を作成した上、評議員会(総会に次ぐ支部の決議機関)の承認を求め、更に職場ナルグで執行部案の肉付けを行なって会社(名古屋工場)と交渉を行なっているが、電炉係職場がじん肺法所定のじん肺指定職場であって、粉塵、高温の影響を受け、また、工場内で最も作業者の汚れのひどい職場でもあることから、電炉係職場の環境改善を支部の運動の中心に据えることとし、昭和四三年秋から地方業務委員会(労働協約八一条に基づき業務運営の改善等を目的として各事業場毎に設けられる労使の委員会)や地方福利厚生委員会(労働協約六八条に基づき福利厚生の運営及び実施について審議するため各事業場毎に設けられる労使の委員会)の席上で会社と交渉を始め、昭和四四年春には電炉職場のオルグで八項目にわたる職場改善執行部要求案を示し、その肉付けを求めた。
(イ) そして、昭和四四年四月一二日、同月二三日、同年六月六日各開催の地方労働協議会で労使の協議が重ねられた結果、同月二三日支部と会社間で大略次のような合意が成立した。
ⅰ) 電炉係所属組合員(変電所勤務者を除く)は、昭和四四年六月九日から同年九月三〇日までの間、特別の事情がない限り午後三時四五分まで作業を行ない、以降入浴を可とする(いわゆる時間内入浴)。
ⅱ) 会社は電炉係に対し毎年作業服貸与時に前項の組合員相当数のズボンを備品として貸与する。また、現在一ケ月一人当り五個支給している普通石けんを、薬用石けん三個、普通石けん四個に増加する。
ⅲ) 集塵装置、ガス抜き装置、鉄製網板、電解板検査用リフター(北電炉)、クレーンの冷房(南)は、一〇二期(昭和四四年六月から同年一一月まで)中に速やかに実施する。
ⅳ) 手摺り、ネット等については小委員会を設け、現場の作業法を考慮しつつ解決を図る。
(ウ) 南電炉の集塵機は、昭和四三年九月に会社独自の判断で設置を決め、昭和四四年五月設置工事に着工し、同年一〇月完成した。起重機用クーラーも昭和四四年三月に会社独自の判断で設置を決め、同年六月設置工事に着工し、同年八月に完成した。
(エ) 昭和四五年度夏季期間の時間内入浴については、同年五月二六日、六月五日各開催の地方労働協議会で協議された結果、同年六月一一日支部と会社間に合意が成立した。また、昭和四五年初めに北電炉にケレン機、テーブルリフター、ホイスト、ローラーコンベアが設置され、ケレン作業の省力化が実施された。
(オ) 昭和四六年度夏季期間の時間内入浴については、同年六月一二日、同月一五日各開催の地方労働協議会で協議された結果、同年六月一五日支部と会社間に合意が成立し覚書が取交されたが、その際、支部の会社に対する五項目にわたる職場改善要求(酸素吸入機、ルームクーラー、温水式シャワー、チェアー式マッサージ機、冷却ジュース器)について、昭和四六年度中に酸素吸入機及びルームクーラーの設置を行ない、電炉詰出の環境改善に努力する旨の確認がなされた。
以上の事実が一応認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
(三) 従業員の定着率及び電炉係所属従業員の在職中並びに退職後における死亡例について
(証拠略)によれば、次の事実が一応認められる。
(1) 従業員の定着率等について
会社名古屋工場における昭和四一年度から同四三年度までの間の現務員を除く従業員の離職率は六・四%ないし七・七%、現務員を含む全従業員の離職率は九・六%ないし一二・七%であり、労働大臣官房統計情報部作成の「雇用動向調査報告」に基づく従業員数一〇〇人ないし四九九人の企業の離職率(一九・四%ないし二〇・二%)と比較すると、現務員を除く従業員の離職率は他企業全般のそれのほぼ三分の一、現務員を含む全従業員の離職率は他企業全般のそれのほぼ半分であった。また、会社全事業場における右年度間の採用者の入社三年後の定着率は、七〇%ないし一〇〇%で、同業他社(二社)のそれを上回っていた。もっとも、名古屋工場に配属された昭和四四年度の新卒採用者の場合は、九名のうち入社後三年以内に五名が、更に二名が五年以内に退職しており(離職率七七%)、労働省労働市場センター調査に基づく新卒中・高卒就職者の一般的離職率をやや上回っているが、同年以降昭和四八年までの間の名古屋工場製造課電炉係の中途採用者一〇名についてみると、昭和五三年二月現在で七名が在職しており、退職者三名の退職理由もいずれも職場環境とは無関係の家庭事情等であった。
次に、会社名古屋工場における昭和四一年度から同四三年度までの間の従業員一〇〇名当りの一ケ月平均長欠者数は〇・三三名ないし〇・九九名であり、病名は高血圧、潰瘍性腸炎、肺結核、急性胆のう炎、胃潰瘍、腰椎ヘルニア、十二指腸潰瘍であった。
(2) 電炉係従業員の在職中及び退職後における死亡例等について
昭和三九年から同四八年までの間に定年退職した電炉係所属従業員一八名のうち死亡が確認された四名及び電炉係在職中死亡した二名の氏名、死因等は次のとおりであった。
(ア) 熊谷為吉は、昭和三九年五月二〇日退職し(勤続約一六年)、昭和四五年二月腎臓炎で死亡した。
(イ) 岡谷定八は、昭和四一年五月二〇日退職し(勤続一八年六ケ月)、その二ケ月後に脳溢血で死亡した。
(ウ) 武田国夫は、昭和四三年五月二〇日退職し(勤続一九年九ケ月)、昭和四五年一二月肺結核で死亡した。
(エ) 福井定市は、昭和四四年一一月二〇日退職し(勤続二一年二ケ月)、その二ケ月後に慢性腎炎及び慢性腎不全で死亡した。
(オ) 日下一夫は、昭和三四年八月二六日入社し、在職中の昭和四六年四月二七日肺癌で死亡した。
(カ) 下山秀義は、在職中の昭和五一年六月二八日脳内出血で死亡した。
右(オ)の日下の死亡を契機に名古屋大学、名古屋市立大学、労働省労働衛生研究所の専門学者が調査したところ、ピッチ内に一%の発ガン物質が含まれていることが判明したため、ピッチの取扱について慎重な工程上の改善事項が指摘されたことがあったが、日下の死亡が職業病によるものとの認定はなされず、同様に、右(ア)ないし(エ)及び(カ)の死亡例についても職業病の認定はなされなかった。また、会社は、電炉職場がじん肺法の適用を受ける職場であるため、従来より右法所定の健康診断を行なっているが、昭和五三年二月現在までに作業の転換を要する健康状態の者が発見されたことはなかった。
以上の事実が一応認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
2 申請人の組合活動について
(一) 申請人が昭和四二年八月から同四四年七月までの間、支部青婦部運営委員(教宣部長)を務めたこと、申請人が昭和四六年七月に行なわれた青婦部長選挙に当選して同年八月から昭和四七年一月まで支部執行委員及び青婦部長を務め、この間に組合の第二九期中央定期大会の代議員に選出されたこと、申請人が昭和四六年一二月から病気欠勤を始め、昭和四七年一月支部の右役職を辞任したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
(二) 右の当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が一応認められる。
(1) 申請人は、昭和四二年春頃から組合運動に関心を持つようになり、同年八月から昭和四四年七月までの間、支部書記局に設けられた専門部の一つである青婦部(部員数約七〇名)の運営委員(教宣部長)を二期務め、この間に青婦部発行の機関誌「火花」(隔月発行)の編集に責任者として携ったが、青婦部運営委員は組合規約所定の支部役員ではなく、会社も申請人が運営委員としていかなる活動をしたのか知らなかった。なお、右「火花」は昭和四四年七月教宣部長の交替とともに廃刊になった。
(2) 昭和四三年秋から同四四年六月にかけて行なわれた支部の会社に対する電炉係職場環境改善要求運動について、申請人も電炉係所属の組合員の一人として関心を持ち、職場集会において発言したり、支部事務所に出入りしたりした。しかしながら、右運動は、前認定のように支部執行部主導のもとに行なわれたものであって、申請人は、支部と会社間の右交渉の場である地方業務委員会、地方福利厚生委員会及び地方労働協議会にはその構成員でないため一度も出席したことはなく、また、右各委員会とは別個に独自に会社に働きかけたこともなかった。なお、申請人は、昭和四四年四月二九日、右環境改善要求のための年休闘争と称して他の電炉係所属の組合員一〇余名とともに年休をとったが、ちょうど連休の頃で年休をとる従業員が多かった上、会社や支部に対して年休闘争をする旨の通告、連絡等を一切しなかったため、会社及び支部は申請人らが年休闘争なるものをしたことは全く知らず、また、電炉職場の作業にも何ら支障は生じなかった。因みに、年休については、昭和四三年一一月二〇日会社と組合との間で、「会社及び組合は、組合員が年次休暇を悪用する意図をもって請求することを防止するよう努力する。」との了解がなされ、昭和四七年四月二一日にも同旨の確認がなされた。
(3) 次いで、申請人は、昭和四四年八月から同四五年一月まで南電炉選出の支部評議員及び青婦部運営委員(組織部長)を務めたが、評議員は労働協約七〇条一項一一号所定の「支部の役員」に該当しないため会社に届出がなされず、また、青婦部運営委員についても昭和四四年八月頃からその氏名が会社に通知されなかった。しかし、会社は、申請人が支部評議員をしていたことを把握していた。なお、評議員は選出単位の職場の組合員のうち評議員の経験のない者が順次回りもちでなるケースが多く、申請人の場合も、評議員未経験者数名の中で申請人が希望したため投票なしに選ばれたものであった。
(4) ところで、申請人は、愛知県反戦青年委員会(昭和四〇年に日韓条約批准阻止を目的として社会党、総評系の各地区労、県評傘下の組合青年部、青婦部が中心になって結成した大衆組織の県組織)の事務局長をしていた支部執行委員秋元昌久の影響を受けて昭和四二年秋頃から全学連や反戦青年委員会の運動に興味と関心を抱くようになり、昭和四四年には、「小牧基地撤去闘争」、「四・二八沖縄デー闘争」「東南アジア閣僚会議反対闘争」等のいわゆる反戦闘争に参加した。そして、同年秋の「一〇・一一月佐藤訪米阻止闘争」なる政治行動にもいわゆる反戦派労働者の一人として支部組合員である右秋元、井上峰夫(青婦部副部長)、川野眞(青婦部教宣部長)、守山とともに参加し、一一月一四日から同月一八日まで欠勤したが、右参加行為は組合の機関決定に違反したものであったため、組合規約一四条に基づき支部によって昭和四五年二月から同年七月までの間の組合員としての全権利停止の懲戒処分を受け、更に会社からも、右欠勤は事前の届出がなく、かつ、正当な理由のないものであったとして、昭和四四年一二月二九日就業規則七八条一号及び三号に基づき減給の懲戒処分を受けた(申請人が昭和四四年一二月会社から右懲戒処分を受けたことは当事者間に争いがない)。なお、この頃会社は右減給処分に対する抗議ビラ(<証拠略>)を入手し、その記載内容から申請人がいわゆる反戦派労働者に属することを知った。右闘争に参加した秋元、井上は逮捕、勾留(勾留期間は約一年)されて一審でいずれも有罪判決を受け、守山も逮捕された。また、川野は、会社及び支部から申請人と同様の理由により同様の懲戒処分を受けた(秋元、井上が逮捕され、約一年間勾留されたこと、守山が逮捕されたこと及び川野が会社から減給処分を受けたことは、当事者間に争いがない)。
(5) 昭和四六年七月、申請人は、「(ア)電極労働運動の戦闘性の防衛と創造、(イ)組合員の既得権の奪回と確立、(ウ)三菱型労務管理の粉砕」の三つのスローガンを掲げて青婦部長選挙に立候補し、対立候補を破って当選した。これと同時に申請人は支部執行委員選挙にも立候補し、信任投票の結果信任されて支部執行委員(青婦部、安全衛生担当)に就任した(但し、申請人への信任投票数は立候補者五名中最下位)。右就任の事実は、他の支部役員の氏名、役職とともに支部から会社に正式に届出がなされた。そして、申請人は、同年八月末から九月初めにかけて行なわれた組合の第二九期中央定期大会に支部選出の代議員の一人として出席し、議長団を務めたが、その際電炉職場の夏季時間内入浴闘争をオール東海に波及させていこうとの問題提起をした。また、申請人は、同年一〇月頃、支部執行委員会において、会社の職長教育は下級職制に対する思想教育であるとして問題提起をした。
(6) ところで、申請人は、昭和四六年一〇月二二日午前八時三〇分頃会社に「年休で休む。」旨電話連絡をして会社を休み、翌二三日出勤して年休届を提出しようとしたところ、櫟原係長及び田中組長から欠勤届を出すよう求められたが、これまでの慣行では、当日の始業時間(午前八時)後であっても、午前一〇時頃までに年休の連絡、届出をすれば欠勤届を出さなくても欠勤の年休振替が認められていたとして、右要求を拒否した(申請人が昭和四六年一〇月二二日事前届出なしに欠勤し、翌二三日上司から欠勤届の提出を求められたことは、当事者間に争いがない)。その後同月二五日朝に至って、申請人は米倉工長から「欠勤届を出すまでは現場に入れない。」と言われたため、会社の右取扱は組合員の既得権を侵害するものとして支部執行部に事実経過を報告し、これを受けて支部執行部は会社と交渉を始めた。また、支部青婦部においても、年休の届出に関するこれまでの取扱の実情等について支部組合員や他支部の青婦部を対象に調査をしたり、臨時総会を開いたりして、勤怠手続についての会社の昭和四五年一〇月二一日付名古屋工場総務課長通達(年休等の勤怠手続に関する具体的基準及びその取扱について各課長、係長宛に通達したもので、年休については「原則として前日の勤務終了時までに届出をすべきものとし、特別の事由により事前届出ができなかった場合に欠勤を年休に振替えることを求めるときは、事後速やかに欠勤届を所属長に提出し、総務課長の承認を得た上で年休届を提出しなければならない。但し、年休の連絡、届出を当日の始業時までにした場合は、右振替手続を省略することができる。」としたもの)の撤廃を要求した。
そして、支部と会社との交渉の結果、同年一一月一三日、「年休は事前届出が原則であるが、突発的にやむを得ない事情で始業時以後に連絡する事態も考えられるので、始業時以後連絡のあったものについても、特別の事情のない限り欠勤の年休振替手続を省略することができるものとする。」旨の確認がなされた。なお、申請人は右の支部と会社間の交渉に支部執行委員として直接関与した。
(7) 申請人は、昭和四六年一二月から肺結核により病気欠勤を始め、昭和四七年一月青婦部長及び支部執行委員の職を辞任した(この事実は当事者間に争いがない)。
以上の事実が一応認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分はたやすく措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
(三) 申請人は、昭和四四年から同四六年にかけての電炉職場の職場改善闘争において申請人が中心となって組合活動を展開し、それによって夏季時間内入浴等の改善措置を勝ち取ったと主張するが、(証拠略)中右主張に副う部分はたやすく措信し難く、他に右主張事実を疎明する証拠はない。
3 申請人の病気欠勤開始後復職に至るまでの経過について
当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が一応認められる。
(一) 申請人は、会社の実施した昭和四六年秋の定期健康診断で肺結核と認定され、同年一二月二二日から病気欠勤を開始し、昭和四七年一月七日から尾張旭市内の旭労災病院へ入院した。同年六月二一日申請人の欠勤が就業規則一七条、一八条、労働協約一五条に定める期間に及んだため、会社は右各規定に基づき申請人に対し休職発令をした。その後、申請人は同年九月一〇日右病院を退院し、以後中部労災病院へ約二週間に一回の割合で通院していたが、同年一〇月末から一一月初め頃担当医の青井医師から、「もうぼちぼち働いてはどうか。」と言われた上、同年一一月九日父親が死亡し、実家に対し経済的援助をする必要も生じたため、就労を決意した。
(二) そこで、申請人は、同年一二月三〇日復職するため会社に対し、「昭和四八年一月一〇日より就業可と認める。」旨の記載のある青井医師作成の証明書を提出したが、会社は、会社の業務が比較的特殊であり、また申請人の復職すべき電炉職場がじん肺法所定のじん肺指定職場であることから、青井医師が右事情を知悉して証明書を作成したものかどうか確認するため、昭和四八年一月八日名古屋工場総務課和泉労働係長及び鈴村労働係員をして同医師に対し会社の業種及び電炉職場におけるすべての具体的作業内容を充分説明させた上、所見を求めたところ、同医師は「一般に肺結核は、発病後全治まで最低三年はかかり、その意味では申請人の病気は全治しておらず、二週間に一回程度の通院加療が必要である。しかし、現状では電炉職場のすべての作業に就労し得る状態に戻っている。但し、常識的には粉塵の多い職場は好ましくない。」との意見を述べた。
(三) ところで、会社と組合間の昭和四七年四月二一日付覚書の三条四項には、傷病休職中の者を労働協約一七条によって復職させるときは、予め会社が指定する医師の診断を受けさせるものとするとの定めがあるため、会社は昭和四八年一月九日申請人をして会社嘱託医の横地医師の診断を受けさせ、翌一〇日鈴村係員において同医師に面談し診断内容を確認したところ、同医師の診断内容も青井医師のそれとほぼ同一であった。なお、会社は、その後同月一六日及び同月二三日にも横地医師から申請人の病状を確認した。
(四) 同月一〇日、山上総務課長、和泉係長、鈴村係員は、前記二医師の診断内容及び意見をもとに相談した結果、申請人を復職させることとするが、申請人の一生の健康の問題として考えた場合、休職前の原職である電炉係よりも粉塵の少ない間接部門の方が好ましいから、申請人にその意向さえあれば工業化学科出身でもあるので、技術課技術係に配転してはどうかということで一応の意見がまとまったため、工場長の了承を得た上、上田技術課長に対し申請人受入れの可否についての検討を依頼した。上田課長は、杉丸技術係長、山本技術課員らと検討した結果、「電解板の消耗試験」の仕事を申請人に担当させることとし、山上課長に対し、申請人の受入れが可能である旨返事した。
そこで、翌一一日山上課長、和泉係長、鈴村係員は、申請人に対し右の趣旨を話し、その意向を打診したところ、申請人は電炉係へ復職したいと述べたが、山上課長らは、「今日言われて今日返事するといっても難しいし、一生の問題でもあるから、もう一回よく考えて返事して欲しい。」「喀痰検査の結果が出るのは一週間後位だから、それまで考えて返事すれば今すぐ返事をしなくてもよい。」と述べて申請人に再考を促し、一三日に改めて返答して貰うことになった。なお、このとき申請人は、「技術係へ行ってもいいが、三年経ったら、あるいは健康になったら電炉係に戻すという約束をしてくれ。」と述べたが、和泉係長は、「将来のことは判らないから約束できない。」と答えた。
(五) 同月一二日、申請人は横地医師のもとを訪れ、配転に関する会社の意向を伝えて意見を求めたところ、同医師は、「一年も休んでいたのだから、六ケ月をめどに調べて様子をみたらどうか。」と述べた。なお、同医師が「六ケ月」という期間を口にしたのは、結核予防法上、六ケ月毎にレントゲン検査を行なって保健所へ報告するものとされていることから述べたものに過ぎず、六ケ月という期間にさしたる医学的根拠はなかった。
(六) 同月一三日、申請人は、復職について話合うため総務課事務所を訪れ、第二応接室において山上課長、和泉係長、鈴村係員と会ったが、同月一一日夜技術係所属の組合員山田賢次から、「山本技術課員が『申請人が二、三日内に技術課に来ることになった。』と言っていた。」との話を聞き、翌一二日には、技術係所属の組合員加藤広康(旧研究課員)から、「上田技術課長に『反戦派を技術係に集めようというのではないか。』と質問したら、同課長は『結果としてそうなる。』と言っていた。」との話を聞いていたことから、「配転について会社と話合いを始めたばかりなのに、会社側は自分の知らないところで技術係への配転の話を進めている。これは、健康のためという美名に隠れて実際は自分をその組合活動上の基盤である電炉係から排除しようとする配転攻撃ではないか。」との危惧の念を抱き、配転問題について他の組合員に相談するために会社との話合いの内容を録音する必要があると考え、右の話合いの席にテープレコーダーを持ちこんで話合いの内容を録音しようとした。これに対し、山上課長らは、「これまで名古屋工場では、労使間の話合いの内容をテープレコーダーで録音するという慣行はなく、そのような行為を認めることは会社と従業員との間の信義にもとる。更に、テープレコーダーは編集の仕方で会話の内容を改変することも可能であって、必ずしも妥当な記録方法ではない。」との理由から、申請人に対しテープレコーダーを停めるよう再三要求したが、申請人が直ちにこれに従おうとしなかったため、約三〇分間紛糾したが、最終的に申請人が右要求に従ったため、話合いが開始された。
そして、申請人は、会社側に対し、「電炉係に復職したいが、六ケ月間程度の体力調整期間を設け、その間電炉係のハウス業務(事務所で行なうデスクワーク)をさせて欲しい。」旨要求した。そこで、山上課長らは、直ちに林製造課長及び櫟原電炉係長を別室に呼んで約三〇分間協議したが、申請人の職務能力(実務三級)に適応するハウス業務は既に二名の女子従業員によって行なわれており、六ケ月もの長期間に亘って申請人に行なわせるようなハウス業務は全くなかったため、その旨申請人に返答するとともに、電炉係と技術係のいずれを選択するか明確に意思表示をするよう求めた。これに対し、申請人は、「技術係へ行ってもよいが、六ケ月経ったら電炉係へ帰して欲しい。」と述べたが、右要望は会社側から拒否されたため、「再度考えたいので、一月一六日まで猶予期間を欲しい。それまでに会社の方でも軽い仕事を捜しておいて欲しい。」旨返答し、この日の話合いは終った。
(七) 技術課技術係は、電解板等の製品の品質管理、品質改善及びユーザーからのクレームの処理業務等を担当する職場で本来の配置人員は五名であった。技術係の担当業務は電炉係のそれに比べればはるかに楽であって、技術係への配転希望者も多く、電炉係の年配労働者には、技術係はエリート職であるとの意識が強かった。ところで、申請人が復職を申し出た当時、技術課技術係には、次の事情により名古屋工場旧研究課員一二名が配属されていた。すなわち、名古屋工場研究課は、グラシーカーボンの製造研究、炭素繊維(サーモロンA及びS)の研究開発に当っていたが、昭和四七年七月会社は原糸メーカーの問題等からサーモロンSの研究開発を断念したことから、同月一一日組合に対し、労働協約七条一項に基づき研究課の廃止等を内容とする職制・機構の制定改廃の通知をするとともに、同月二一日研究課員一三名に対し技術課技術係への配転を発令した。その後、右業務組織変更の実施手続及び配転発令をめぐって会社と組合間に紛議が生じたが、同年八月一八日右両者間に、「サーモロンSの生産は同年九月三〇日まで継続し、一〇月一日以降は停止する。研究課廃止に伴い同課所属の一三名は技術課技術係に配属する。但し、サーモロンS業務従事者は、会社業務の長期予想に関する文書が中央業務委員会に提出されるまでの期間とし、以後の配属については地方で話合う。労働協約七条一項の規定に拘わらず、労働条件に関係ある職制・機構の制定改廃については原則として実施前に協約三章二節に定める業務委員会において組合に説明を行ない意思を聴取する。」等の合意が成立し、名古屋工場と支部間においても同年一〇月六日、「旧研究課員の技術課技術係への配転発令日は昭和四七年八月一八日とする。旧研究課員は、会社業務の長期予想書が提出されるまでは、同一グループで旧研究課本来の業務に従事するが、業務量との関係で従来からの技術課技術係の業務に従事する場合もあり得る。」との合意が成立した。以上の経緯により、昭和四八年一月当時、技術係には、昭和四七年九月頃防府研究所に配転された執務職山本を除く旧研究課員一二名が在籍していたが、このうち反戦派組合員に属する者は加藤広康(サーモロンS業務従事者)及び井上峰夫(グラシーカーボン及びサーモロンA業務従事者)の二名であった。しかして、会社業務の長期予想文書は昭和四七年一二月一三日会社から組合に提出され、これを受けて昭和四八年一月一八日、一九日、二〇日に中央業務委員会が開催された結果、職制・機構の改廃に関する中央での話合いは会社提案のとおりすべて予承されて終了した。次いで、サーモロンS業務に従事していた旧研究課員八名の再配転に関する協議が地方労働協議会において行なわれ、本人の希望も尊重した上、同月三一日全員の再配転(但し、うち三名は技術課技術係に残留)につき合意が成立し、翌二月一日付で発令がなされた。その結果、加藤広康は製造課成形係に配転になった。なお、グラシーカーボン及びサーモロンA業務は研究課廃止に伴い技術課技術係の担当業務となったため、右業務に従事していた井上峰夫については再配転の問題は生ぜず、引続き技術係に在籍した。
(八) 昭和四八年一月一六日から一九日までの四日間、申請人と会社との話合いの席が設けられ、申請人は、「一〇日から復職する準備をしていたのだから、一〇日から出勤扱いにせよ。」などと要求したが、四日間とも申請人がテープレコーダーを持込んで作動させ、停止を求める会社の要求を拒否したため、話合いは全く進展しなかった。
(九) そのため、会社は、申請人の最終的な意思を確認するため、同月二〇日申請人に対し内容証明郵便で、「『(1)休職前の業務に就労する。(2)休職前の業務に就労できる程の健康状態に回復していないので、もうしばらく治療に専念する。(3)技術課技術係への就労を希望する。』の以上三つのうちいずれを選択するかを同月二三日午後四時までに総務課長に回答されたい。右日時までに返答のない場合は、就労の意思がないものとみなす。」旨通知した。
なお、当時申請人は、労働協約一六条一号に基づき一年一一ケ月間(昭和四九年一二月二〇日まで)の休職期間を残しており、かつ、引続き休職を続けた場合でも昭和四八年七月二〇日までは健康保険法による傷病手当金(独身で非入院の場合、標準報酬日額の六割×日数)の支給を、翌二一日以降は休職期間満了まで会社から療養見舞金(独身で非入院の場合、基準賃金の六割)の支払を受けることが保障されていた。
(一〇) 右の内容証明郵便による通知に対し、申請人は、会社の提示した三つの選択肢の中には、「電炉係に復職するが、六ケ月間は体力調整のために軽い仕事につかせて欲しい。」との自己の要望が含まれていないため、申請人としては選択のしようがないにも拘わらず、短期間の間に選択を迫り、かつ、その間に選択をしないときは会社の方で申請人に「就労の意思がないものとみなす。」というのは、実質的には解雇予告であるとして強く反発した。
そのため、申請人は、同月二二日午前九時五〇分頃総務課事務所を訪れ、第二応接室において、持参したテープレコーダーを作動させたまま山上課長及び和泉係長に対し、「内容証明を送った理由と根拠を示せ。内容証明は組合にも出したのか。会社は話せばわかると言っていながら、一方的に内容証明を出したのは自己矛盾ではないか。就労の意思なきものとみなすというのは、どういうことか。俺は就労する意思がある。会社は紙きれ一枚で俺の一生を決めようとしている。労働者にとって解雇されるということは、死の宣告と同じなんだ。どうなんだ。」などと大声で追及した。これに対し山上課長らは、テープレコーダーの停止を求めたが、申請人がこれに応じなかったため、午前一〇時頃総務課事務室の自席に戻ったところ、申請人もその後を追って事務室に入り、同課長の席の前でテープレコーダーを作動させたまま大声で前同様の趣旨を述べ追及した。しかし、山上課長は、これに取り合わず、午前一〇時三〇分頃会議出席のため第二応接室に入ったため、申請人は工場長室に入り、上月工場長に対し、「内容証明を送った根拠を示せ。」などと詰め寄ったが、テープレコーダーの停止を求める工場長の要求に従わなかったため、話合いは進まず、五分ないし一〇分位で、工場長室から退出した。更に申請人は、同日午後一時三〇分頃再び工場長室を訪れたが、テープレコーダーの停止を求める工場長の要求に応じなかったため、話合いは進展せず、午後一時四五分頃退去した。
(一一) 同月二三日も申請人は総務課事務所に赴き、旧次長室において持参したテープレコーダーを作動させたまま山上課長及び和泉係長と面談し、「内容証明を出した根拠を示せ。テープレコーダーを何故消さなければならないのか。俺は働く意思があるのだ。一〇日から出勤扱にせよ。四、五ケ月は電炉係に籍だけおいて体を慣らすための軽い仕事をやらせろ。」などと大声で述べ、テーブルを平手で数回に亘って強く叩いたりしたが、山上課長らがテープレコーダーを停めない限り話合いに応じないとの姿勢を崩さなかったため、話合いは全く進展せず、約一五分ないし二〇分後に退去した。なお、申請人は、同日会社に対し、「会社からの復職に係わる問い合わせに『就労の意思なきものとみなす。』とあるのは恫喝であり、厳重に抗議する。」などと記載した「抗議の為の覚え書」と題する書面を内容証明郵便で送付した。
(一二) 同月二四日午前一一時頃、山上課長、林製造課長及び和泉係長は総務課事務所第二応接室で申請人に会い、「復職を命ずる。製造課電炉係勤務を命ずる。」旨記載した同月二五日付の辞令書を手渡して復職辞令を発した。その際、申請人は山上課長らに対し、従来から主張している体力調整期間について返事をして欲しい旨求めたが、山上課長らは製造課成形係所属の従業員の父親の葬儀に出席するため、すぐ出掛けなければならないと答えた。そこで、申請人は、午後再び総務課事務所を訪れたが、会社幹部が誰もいなかったため話をすることができなかった。
以上の事実が一応認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
4 申請人の復職後の稼働状況等について
(一) 申請人が昭和四八年一月二五日電炉係に復職して同日及び二六日の両日就労し、同月二七日年休をとったこと、その後、同月三〇日から二月一〇日まで病気欠勤したことは、当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、申請人が一月二七日に年休をとったのは、その日の朝食時に嘔吐したためであり、同月三〇日から二月一〇日まで病気欠勤したのはインフルエンザ症兼急性扁桃咽頭炎になったためであること、その後申請人は同年四月一一日に解雇されるまでの間に年休を合計一二日間(二月一四日、一七日、一九日、二二日、二四日、二六日、三月一日、二日、六日、一〇日、二一日、二六日)とり、三月二八日から同月三一日まで四日間病気欠勤をしたことが一応認められる。
(二) ところで、申請人は、復職後田中組長らが申請人に対し監視を強めたり、特に嫌がらせをしたと主張し、(証拠略)中には右主張に副う部分があるが、右部分は(証拠略)に照らしてたやすく措信し難く、他に右主張事実を疎明する証拠はない。
却って、(人証略)によれば、田中組長は、昭和四八年二月一五日頃の朝、申請人が、他の者は既に脚絆を着けて仕事を始めているのに、脚絆も着けずに窯の上に腰をおろして煙草を喫っていたため申請人に対し早く脚絆を着けるよう注意したものであり、また、同年三月二三日朝は、申請人が二〇〇ボルトのスイッチボックスのそばで青ごなし作業をしていたため、他の者に注意するのと同様に、申請人に対しても危険防止のためスイッチボックスに誤って水をかけないように注意したものであって、殊更嫌がらせのために注意したものではないことが一応認められる。
5 申請人の復職問題及び体力調整期間の要求に対する組合本部、名古屋支部、同支部青婦部の取組みについて
当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が一応認められる。
(一) 申請人は、支部執行部は労使協調派であるとしてこれに不信感を抱いていたことから、昭和四八年一月一二日、横地医師の診断を受けた後、支部事務所を訪れ、近藤支部執行委員に対し、「現在復職について会社と交渉しているので、私を無視したところで執行部と会社で協定しないで欲しい。」と申し入れた。
(二) 同月一三日、支部の旗開きの席で、年輩組合員及び池田清、坂熊正行、加藤広康ら若手組合員が執行部に対し申請人の復職問題に取組むよう意見を述べたが、支部執行部は、前日申請人から「執行部は申請人の復職問題について取組まないで欲しい。」との申し入れがあった旨返答した。なお、この頃電炉係所属の従業員一〇名が、「会社は、病気上がりを理由に申請人を技術係に配転しようとしているが、本人の意思を尊重し、電炉係に復帰させるよう要求する。」旨記載した要求書に署名捺印したが、右要求書は何処へも提出されなかった。
(三) 同月一五日頃から、申請人を支援する支部組合員グループによって、申請人の復職問題に対する会社の対応を非難するとともに、申請人の会社に対する体力調整期間の要求は単に申請人個人の問題ではなく、全組合員の労働条件の問題であるとして右要求行動を支援擁護する趣旨の匿名のビラがしばしば配布されるようになった。
(四) 同月二二日、申請人は下山支部執行委員長及び安藤青婦部長に対し、会社から送られてきた「復職に係わる問い合わせ」の内容証明郵便を見せ、「これは実質的な解雇予告ではないかと思うが、委員長としてどう考えるか。」と意見を求めたが、同委員長は、「就労の意思なきものとはどういう意味かなあ。」と述べたのみで、明確な意見は述べなかった。
(五) 同月二三日、青婦部協議委員一一名中六名の者が、「一月二五日に青婦部協議委員会(青婦部総会に次ぐ決議機関で、青婦部協議委員及び同運営委員会の構成員をもって構成されるもの)を開催し、申請人の復職をめぐる問題について討論せよ。」との臨時協議委員会開催の要請がなされた。
(六) 同月二六日、前記開催要請に基づき協議委員会が開かれ、その席上、「申請人が要求している体力調整期間について青婦部で取り組もう。」との提案が出されたため、議長が採決をとろうとしたところ、青婦部運営委員から採決をとることに異議が出された。そこで、採決の可否自体について採決をとったところ、可決されたため採決しようとしたが、再び運営委員の方から、「運営委員会が決めていないのに協議委員会で勝手に方針を決めて貰っては困る。」との異議が出されたため、結局時間切れになって採決に至らなかった。なお、同日運営委員会は終業時間後に申請人から事情を聴取し、その際申請人は、長期療養者の体力調整期間の権利要求の意味について説明した。翌二七日引続き協議委員会が開かれ、「申請人の体力調整期間の問題に関する署名活動を始めよう。」との提案がなされたが、運営委員の方から、「親組合が決めていないのに、運営委員会で勝手に決めることはできない。」「近々支部見解が出るから待て。」との意見が出されたため、この日も時間切れになって採決に至らなかった。
(七) 同月二八日頃、支部は支部全組合員に対し、「本件については労働協約の範囲外であり、支部としては、あくまでも申請人個人の復職問題であるとの認識に立ってこれに関与しない方針である。病後のいたわりとかかばい合いとかは、復職後の仲間の中での美しい人情の問題である。組合員の中には申請人と同じようなケースで療養し復職している者が少なからずいるが、いずれも元の職場に戻って働いている。申請人の場合も完治しておれば元の職場に戻るのが筋道であり、それができなければ療養を続けるべきである。支部は組合員に対し差別的取扱をすることはできない。」旨の一月二六日付支部見解を発表した。
(八) ところが、申請人は前認定のとおり復職後間もなくの同月二七日には年休をとり、更に同月三〇日からは病気欠勤を始めたため、支部としても申請人の健康状態を心配する傍ら、他の組合員の申請人の復職問題に対する複雑な感情も無視し得なかったことから、同年二月二日、下山委員長は病気欠勤中の申請人に対し、「明日組合本部から書記長が来名する。君が良ければ復職問題について本部も含めて話をしたいので出て来て欲しい。」旨電話で連絡したが、申請人は、「熱がまだあるので出勤できない。出勤できるようになってから話をしたい。」と答えた。
(九) 申請人は、二月一〇日まで病気欠勤し、一二日から出勤した。そして、同月一三日、一五日、一七日、二〇日の四回に亘り申請人と支部執行部との間で話合いが行なわれたが、その席上、執行部は申請人に対し、「執行部に白紙一任するか、それとも申請人個人で交渉していくのかを聞いた上で検討したい。」旨述べ、申請人から前記支部見解との関係を質されたのに対し、「復職前と復職後とは違うし、組織的に変化が生じた。変化というのは具体的には、組合員の感情、組合各支部間、本部との関係等だ。」と答えた。これに対し、申請人は、「支部は、長期療養者の復帰後における体力調整期間の獲得要求についてどのように考えているのか。自分の問題について組合に対し取り組むなとは言っていない。支部見解から一転して、『執行部一任か、それとも個人交渉か。』に変わったのは何故か。」と追及したが、執行部からは申請人の納得し得るような返答が得られなかった。また、右話合いの中で、支部執行部は申請人に対し、「支部が会社側と折衝するには専門家の判断がもとになるので担当医師の診断書を出して欲しい。それを見て支部として取り組むかどうかを検討する。」と求めたが、申請人から診断書は提出されなかった。
(一〇) 同年三月七日、支部執行部は申請人に対し再度診断書の提出を求めたが、申請人は、「支部は、長期療養者の体力調整期間の問題に組合員全体の権利闘争として取り組むごとを決定すべきである。その前提のもとに、会社との交渉を有利にするためならば診断書を持参する用意がある。しかし、診断書を支部において体力調整期間の要求に取り組むか否かの判断材料にするためにのみ使うのであれば提出しない。それは労働者の現状を無視し、本人を無視する考えである。」と答え、結局診断書を提出しなかった。そのため、支部執行部は、申請人は支部が申請人のために会社側と折衝することを拒否したものと判断し、同月一二日開催の評議員会において、支部としては申請人の復職後の件について終止符を打たざるを得ない旨報告し、一五対四の多数で承認を受けた。その際、評議員の中には、「まず病気と闘って療養に専念すべきであり、そのために組合で勝ち取った休職期間を充分利用すべきである。社会に甘えるな。」との意見を述べたものもいた。
(一一) 同年六月一三日、組合中央執行部は、四月二四日申請人から問合わせのあった三点につき申請人に見解を表明したが、その中で、「申請人の職場復帰の取組みが反労働者的であるか否か。」の問いに対し、「申請人の『原職場である電炉係に在籍し、六ケ月間位は軽い仕事をしたい。』との主張は、組合員として当然かつ正当である。しかし、申請人としては、復職に伴う労働条件及び職場の問題について、単独に行動せず、多くの組合員の支持と理解の上に立ち、皆の要求としてたとえ執行機関の取組みが弱くてもねばり強く組合を通じて労使関係の問題とすべきであった。この問題をめぐる一月二六日付の支部見解は、誤りであり、支部のその後の処理も消極的であった。」旨の見解を表明した。更に、中央執行部は、右同日支部執行部に対しても見解を表明したが、その中で、「世間一般の企業に比べて悪環境にある職場の実態や現在までの各支部における長期療養者の復職に伴う労働条件に対する取り組みからいっても、申請人の復職に伴う労働条件の問題を積極的に組合員の労働条件として取り上げ事業場と協議すべきであった。しかるに、一月上旬申請人の問題を支部執行部として取り上げず、申請人の個人折衝を看過し、一月二六日付の支部見解で『労働協約の範囲外であり、個人の復職問題であるとの認識に立って関与しない方針である。』と全組合員に訴えたのは誤りである。また、その後二月中旬まで支部執行部のとった態度は消極的であった。」旨の見解を表明した。
(一二) ところで、会社と組合間の労働協約においては、「会社は、一切の交渉及び協議を組合とのみ行なう。但し、この協約の範囲内においては、支部がその事業場の特殊事情により事業場と協議し、協定を締結することを妨げない。」(二条)とされており、「二つ以上の事業場にまたがる人事を除く労働条件に関する事項」は中央労働協議会の、「当該事業場の人事を除く労働条件に関する事項」は地方労働協議会の各協議事項とされている(八四条三号、八五条三号)。また、人事については、その原則として、「会社は人事の公正妥当を旨とし、組合の意向を尊重してこれを行なう。」(九条)とされ、組合員の転換の場合は、「内定次第その理由、氏名及び職場を支部に通知する。」(一三条)旨、復職の場合は、「会社は休職の事由が消滅したときは復職させる。」(一七条)旨定められている。そして、昭和四七年四月二一日付の覚書及び確認事項により、転換については、採用及び転勤の場合と同様に「会社から通知を受けた組合又は支部は、その件に関し意見を述べることができる。但し、次期協約改正時には諮問制を実施し、会社はその間適切な処置を行なう。」とされていた。安全衛生については、「会社は、医師である衛生管理者が保護を要すると認めた者、または法令によって指定された者に対しては、その勤務の制限、転換または禁止を命ずることがある。」との規定(六〇条)があるが、本件で問題となった長期療養者の復職後の体力調整に関する規定はおかれていない。同様に、就業規則にも復職後の体力調整に関する規定はない。なお、復職者の復帰先については、原則として休職前の原職に復帰することが労使間の慣行となっていた。
以上の事実が一応認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
6 体力調整期間設定事例の有無について
当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、申請人が体力調整期間設定事例もしくはその類似例として主張する日下一夫、平林和清及び宮内の場合の実情は、次のとおりであったことが一応認められる。
(一) 前記日下は、昭和四五年六月の定期健康診断で胸部に異常が発見され、同月二〇日から同年八月二〇日まで通院及び入院治療を受けた後、同年九月六日から出勤したが、当時組長代行の吉野が公傷で休んでいた(同年五月一四日から同年一一月六日まで)ことから、伝票処理が滞りがちであって、製品の流れ、他工程との関係等を熟知したベテランに伝票処理作業をまかせなければならない業務上の必要性があったため、伝票処理の経験のあった日下が約二ケ月間主に伝票処理作業に従事した。
(二) 電炉係の平林は、昭和四七年頃肝臓疾患により約三ケ月入院した後、出勤したが、このときは従来どおりの組長業務をした。その後、病気が再発し、約一年間入院した後、復職したが、当時たまたま変電所勤務者に欠員が生じ補充を必要としていたため、変電所勤務に変わった。右勤務変更は、恒久的なもので、同じ電炉係内とはいえ実質的には配転に等しいものであった。
(三) 電炉係の宮内は、昭和四四年夏蓄膿手術をした後、出勤したが、当時サーモロンの研究が非常に多忙で研究課から応援を求められていたため、約三ケ月間研究課に応援要員として派遣された。
以上の事実が一応認められ、(人証略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
右認定事実によれば、平林の場合は恒久的な勤務変更であって体力調整期間の設定例に該当しないことが明らかであり、日下及び宮内の場合は、業務上の必要から一時的に他の業務についたもので、これをもって直ちに体力調整期間設定例もしくはその類似例に該当するものと認めるのは困難である。
7 申請人主張の三菱型労務管理の有無及び会社の反戦派組合員に対する不利益取扱、差別的言動の有無等について
(一) 申請人主張の会社の三菱型労務管理について
(1) 雑誌「PHP」の導入について
申請人は、会社は三菱型労務管理の一環として月刊誌「PHP」の導入及びその購読者の拡大を図ったと主張し、(証拠略)には右主張に副う部分があるが、右部分は(証拠略)に照らして措信し難く、他に右主張事実を疎明する証拠はない。
却って、(証拠略)によれば、会社名古屋工場は、昭和四六年頃「PHP」の発行元から一割位値引きするから従業員に「PHP」の講読希望を取り次いで欲しいとの申込みを受けたため、従来から行なっていた医薬品等の取り次ぎと同様に申込書を従業員間に回覧したものに過ぎず、特に組合員の中に「PHP」の講読者を拡大しようとする意図はなかったこと、因みに「PHP」の講読者数は名古屋工場の従業員全体の一五%弱であって、その後講読者数の増減もあまりなかったことが一応認められる。
(2) 安全教育について
申請人は、会社は労災事故について労働者への責任転嫁を目論む安全教育を開始したと主張し、(証拠略)には右主張に副う部分があるが、右部分は(証拠略)に照らして措信し難く、他に右主張事実を疎明する証拠はない。
却って、(証拠略)によれば、会社は、昭和四六年一月及び二月に労災事故が頻発したため、同年三月完全非常事態宣言を出し(同年四月末解除)、工場管理サイドでの施策として、安全作業基準の見直し、安全工事の最優先実施、労使の安全委員会による設備上の問題点の指摘と改善等を行なうとともに、従業員の安全意識の向上のため、安全標語の募集、安全週番制及び安全ミーティングの実施等を行なったものであって、労災事故の責任を従業員に押し付けた事実はないこと、右の労災防止対策の実施により、労災事故は年々減少し、名古屋工場においては昭和五一年七月以降同五二年一〇月まで休業労災事故は一件も発生しなかったことが一応認められる。
(3) 業務組織の変更を名目とした労働強化と職制の職場支配の強化について
昭和四五年四月頃製造課浸透係が電炉係に組み込まれ、昭和四七年九月頃研究課が廃止されたことは当事者間に争いがないが、右の業務組織の変更が労働強化と職制の職場支配の強化を図るためになされ、かつ、現実に労働強化と職制の職場支配の強化が行なわれたことを具体的に疎明する証拠はない。
(4) 時間管理の強化について
申請人は、名古屋工場は朝の体操の開始時刻を午前八時五分から午前八時に繰り上げたと主張し、(証拠略)には右主張に副う部分があるが、右部分は(証拠略)に照らして措信し難く、他に右主張事実を疎明する証拠はない。
なお、(証拠略)によれば、名古屋工場は、前認定の安全非常事態宣言発令中の昭和四六年三月及び同年四月に限って朝の体操前に各職場において二、三分間の安全ミーティングを実施したことがあるが、午前八時までにタイムカードに打刻しておれば従来どおり定時出勤として処理していたことが一応認められる。
また、申請人は、会社は終業時間及び昼の休憩時間を徹底したとも主張し、(証拠略)には今後予想される既得権剥奪の例として終業時間及び昼の休憩時間の徹底が挙げられているが、終業時間及び昼の休憩時間について支部組合員が何らかの既得権を有していたことを疎明する証拠はない。
(5) 年休付与の制限について
昭和四六年一〇月二三日申請人が会社に対し欠勤の年休振替の承認を求めたことに関し紛争が生じたこと及びその具体的経過は前認定のとおりであるところ、申請人は右紛争前は当日の午前一〇時までに会社に連絡すれば欠勤届を出さなくても年休扱になるという慣行があったのに、田中組長らは申請人に対し右慣行に反して欠勤届の提出を求め、もって組合員の既得権を剥奪したと主張し、本人尋問においても同旨の供述をしている。しかしながら、(証拠略)によれば、昭和四五年当時名古屋工場において労働協約に定められた年休の事前届出の規定を守らない例が出て、現場管理上支障を来たすことがあったため、会社名古屋工場は昭和四五年一〇月二一日付総務課長通達によって各課長、係長宛に年休の請求(時季指定)手続及び欠勤の年休振替手続について前認定のような内容の具体的基準を示し、組合員に対しても、申請された休暇日の始業時までに年休請求がなされなかった場合には、欠勤届を提出し、年休振替について総務課長の承認を経た上で年休届を提出するよう周知徹底していたこと、申請人自身も日頃所属長から年休は事前に届け出るよう言われており、昭和四六年四月二九日の欠勤を年休に振り替える措置を求めた際は、右通達どおり一旦欠勤届を提出していること、支部青婦部の支部組合員に対するアンケートの結果によると、当日の始業時以降に年休を申し出た場合欠勤届を出させられるのは権利(慣行)の侵害だと思わないとする者が思うとする者と同数(全体の二二・五%)を占めていたこと、申請人は、陳述書においては当日中に電話で年休の連絡をすれば年休が認められるという労使慣行があった旨、右主張と異なることを述べていることが一応認められ、以上の事実に照らすと、申請人本人尋問の結果中、申請人主張のような労使慣行があったとの供述部分はたやすく措信し難く、他に右主張事実を疎明する証拠はない。
(6) 職長教育について
申請人は、会社は昭和四六年一〇月から組合対策のために下級職制教育を頻繁に行なったと主張し、(証拠略)には右主張に副う部分があるけれども、右部分は(証拠略)に照らしてたやすく措信し難く、他に右主張事実を疎明する証拠はない。
却って、(証拠略)によれば、会社は昭和三九年七月より名古屋工場において組長以上の第一線監督者に対し、その資質の向上を目的として種々の問題につき教育を行なっていたこと、昭和四六年九月以前は必要が生じた都度行なっていたが、同年一〇月は五回、一一月以降昭和四七年四月までは毎月ほぼ一回の割合で行なったこと、取り上げられたテーマは、労務管理に関するものばかりではなく、成人病、新製品、公害、円切り上げ等広い分野に亘っており、各テーマによってそれぞれの分野の担当者が出席して指導を行なっていたこと、また、テーマを決定するについては職長会(構成員は組長及び工長)の希望も聴取しており、昭和四六年一〇月に和泉係長の行なった労働協約及び就業規則に関する説明も職長会の要請に基づいて行なったものであること、労働協約については、昭和四六年一〇月以前においても、協約改正時や現場で問題が生じたときなどに職長会で取り上げられていたこと、以上の事実が一応認められる。
(7) ステッカーへの規制強化について
(証拠略)によれば、次の事実が一応認められる。
(ア) 会社と組合は、ステッカーの設置場所については労働協約七一条に基づき、各事業場が支部と協議の上予め認めた場所か、臨時の場合はその都度事業場が了解した場所とすることを合意しており、名古屋工場においては従来争議時にはステッカーを食堂内の黒板と東側壁面に貼付してもよいことが慣行上認められ、昭和四七年春闘開始時にもその旨労使で確認していた。
(イ) ところが、支部青婦部青年行動隊は、全面七二時間ストの初日である昭和四七年五月一八日、名古屋工場の了解なしに食堂内の壁面、窓ガラス、出入口のドアの両面に約一〇〇枚のステッカーをセロテープで張ったため、和泉係長は同日支部執行副委員長近藤勇三に対し撤去を要求するとともに、翌一九日出入口のドア外側に張られたステッカー五、六枚を支部に無断で剥がした。
(ウ) 次いで、同月二二日、和泉係長は、食堂内の東側壁面及び黒板以外の部分に張られていたステッカー約八〇枚を支部に無断で剥がし、食堂内の演壇の机の下に置いた。なお、当時、七二時間ストは終了していたが、超過勤務拒否の争議行為は継続中であり、同月二四日以降一部及び全面ストライキが予定されていた。
(エ) 和泉係長に対する追及によって右事実を知った青婦部は、支部執行部を通じて会社に抗議し、会社と支部間で協議がなされた結果、同月二三日「争議時における支部の掲示場所は、指定の掲示板、食堂内のうち東側と南側の壁及び西側の壁のうち半分(但し、ガラス窓、ドア、備品類を除く)とする。」等の合意が成立した。
以上の事実が一応認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
(二) 会社の反戦派組合員及びその同調者に対する不利益取扱、差別的言動等の有無について
(1) 申請人の昇進について
申請人が本件解雇時まで実務四級に昇進しなかったことは、当事者間に争いがないところ、申請人は、右は申請人の組合活動を理由とする不利益取扱であると主張し、(証拠略)には右主張に副う部分があるが、右部分は措信し難く、他に右主張事実を疎明する証拠はない。
却って、(証拠略)によれば、会社における社員の等級には管理、執務、実務の三種類があり、実務職には一級から八級までの八段階があること、右各等級にはそれぞれ滞留期間が定められ、昇進はそれぞれの最低滞留期間を経過した者につき勤務成績、職務能力の評定により実施されること、実務三級の滞留期間は、最低二年、最高六年(最高滞留期間が経過すれば、特別の事情のない限り自動昇進できる)であるところ、申請人は昭和四三年三月二一日実務三級に昇進したため、昭和四五年三月二一日以降昇進資格者となったが、昭和四五年、四六年の勤務成績が悪く、勤怠状況(欠勤、遅刻等)も劣っていたため、昇進できなかったものであり、その後も前認定のとおり、昭和四六年一二月二二日から肺結核により病気欠勤を開始し、昭和四七年六月二一日から昭和四八年一月二四日まで休職したため、本件解雇時まで昇進できなかったこと、なお、申請人と同期入社の者七名は昭和四六年三月二一日実務四級に揃って昇進したが、右七名の昭和四五年一月二一日から昭和四六年一月二〇日までの勤怠状況は、遅刻一回のみの者が一名、遅刻三回のみの者が一名いるだけで、その余の五名は遅刻、早退、傷病欠勤、事故欠勤が皆無であって極めて良好であったのに対し、申請人の右期間内の勤怠状況は、事故欠勤六日、病気欠勤五日、早退三回、遅刻一一回であって、大きな隔たりがあったこと、以上の事実が一応認められる。
右認定事実によれば、申請人が本件解雇時まで実務三級から昇進しなかったのには合理的理由があったものというべきである。
(2) 反戦派組合員及びその同調者に対する差別的言動、不利益取扱の有無について
(ア) (証拠略)によれば、昭和四五年四月一日被申請人に入社した加藤志都子(旧姓住田)は、右同日和泉係長から、「昭和四四年の安保に関する闘争に被申請人の従業員が参加し、逮捕された者もいる。現在社内にも危く逮捕を免れた人がいるが、そういった反戦派の人から話しかけられたりしたら話さないように。また困ったことがあったらいつでも何でも私に相談して下さい。」と述べたことが一応認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
(イ) (証拠略)によれば、和泉係長は昭和四五年春頃求人の件で熊本地方に出張した際、熊本出身の従業員の両親らに会い、求人依頼と近況報告をしたが、その際申請人の兄に対し、「申請人は反戦青年委員会に入る前は非常に先輩の言うことを聞いていたが、右委員会に入ってからは先輩の言うことを聞かなくなった。」旨述べたことが一応認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
申請人は、和泉係長が申請人と同郷の組合員の両親に対し申請人が過激派である旨告げたと主張するが、右主張事実を疎明する証拠はない。
(ウ) (証拠略)によれば、昭和四五年四月一日被申請人に入社し名古屋工場研究課に配属された加藤広康は、同年暮頃同課執務職の山本から、「申請人や井上(峰夫)とあまり付合わない方がよい。これは、事務所の非組合員の人から君に言うようにと言われたので、言っておく。」旨言われたことが一応認められ、右認定に反する(証拠略)は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
(エ) 土方問題について
(証拠略)によれば、次の事実が一応認められる。
ⅰ) 昭和四六年七月被申請人に入社し名古屋工場製造課工程係に配属された土方律子は、入社当時和泉係長から、「申請人や井上(峰夫)ら五、六人の者と話をするな。」と言われていたが、昭和四七年春闘時には反戦派の井上峰夫、坂熊正行らとともに夜遅くまでビラ作りや社宅へのビラ入れ等を行ない、同年四月末に山口県防府市で行なわれた各支部青婦部の統一交流会にも参加したところ、和泉係長は土方の父親に対し、「お宅の娘さんは、共産党の集まりに出ているが、よろしいですか。」と電話した。また、土方は、昭和四七年七月の支部青婦部選挙において青婦部運営委員に当選した。
ⅱ) ところで、土方は、工程係において出荷日報、売上伝票及び受払帳の記入、出荷累計表の締切、製品受払表の作成、不透過処理及び加工電解板関係生産月報の作成等を担当していたが、違算や誤記が多く、昭和四七年六月には三度も締切を訂正させられたため、同月末から土方の業務のうち重要な出荷業務を同係の溝口にやらせ、土方には、不透過処理及び加工電解板関係の生産月報作成、出荷日報、各工程品質管理図作成、製造課内の補助事務等の業務をやらせることにした。しかし、それによって変更後の土方の業務量が以前に比べて減ったことはなかった。なお、井神工程係長は、土方に対し昭和四七年四月に無断外泊の件で、同年七月に他職場での長話及び私用の長電話の件で注意したことがあるが、無断外泊については、土方の母親から会社に土方の行先について問合わせの電話があったため注意したものであり、他職場での長話については紋谷工務課長からその旨の連絡を受けたため注意し、また、私用の長電話については過去においてもしばしばあったため職場秩序維持を考えて注意したものであった。
ⅲ) 土方の父親は、未成年の土方が無断外泊したり、しばしば夜遅く男性に送られて帰宅するため異性関係を心配し、昭和四七年七月頃会社に赴き、「異性関係が心配なので土方を退職させ、叔父の勤めている会社に入社させたい。」旨述べた。そして、同年八月一日土方より退職願いが提出されたため、会社はこれを承認した。
以上の事実が一応認められ、(証拠略)中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
(オ) (証拠略)によれば、前記加藤志都子は昭和四七年七月の支部役員選挙において支部三役に立候補した反戦派の井上峰夫の推せん人になったところ、上司の野徳倉庫係長から、「本当に井上を支持しているのか。そうだとしたら、それは危険だ。」と述べ(ママ)たこと、また、同じく右選挙で井上峰夫の推せん人になった研究課所属の井上節子は、当時成形係組長をしていた父親から、「何で、井上なんかを推せんするのだ。」と言われたことが一応認められ、右認定に反する(証拠略)は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
申請人は、右選挙時和泉係長が井上峰夫の推せん人の名前をメモしたと主張し、(人証略)中には右主張に副う部分があるが、右部分は(証拠略)に照らして措信し難く、他に右主張事実を疎明する証拠はない。
8 諮問委員会の開催時期について
本件の諮問委員会が労働協約の改定交渉の妥結した昭和四八年三月二七日から賃金に関する交渉の始まった同年四月五日までの間に開催されたことは、当事者間に争いがないところ、(証拠略)によれば、次の事実が一応認められる。
(一) 組合は、昭和四八年三月三日会社に対し、同月二〇日で有効期間の切れる労働協約の改正、基準賃金の増額、基準外賃金の改正等について協議するため中央労働協議会の開催を申し入れ、同月二〇日団体交渉を申し入れた。そして、同月二三日には会社に対し争議行為の予告をしたが、同月二七日早朝労働協約改定のための団体交渉が妥結したため、同日予定されていたストライキは開始直前に中止された。組合の労働協約改正要求の中には懲戒手続を現行の諮問制から労使の協議制に変更する旨の要求が含まれていたが、同月二七日「懲戒手続については現行どおりとするが、労働協約の有効期間中といえども継続審議する。」旨労使間で確認された。なお、賃金に関する団体交渉は同年四月五日から始まり、組合は会社に対し同月一一日、一四日、二一日、二六日にそれぞれストライキ等の争議予告をしたが、同年五月八日頃賃金等に関する団体交渉が妥結して同年度の春闘は終了した。
(二) ところで、会社は、本件懲戒事由である申請人の昭和四八年一月二五日、同月二七日及び二月一三日の言動を、職場秩序維持上そのまま放置できないと考えていたが、支部に対し諮問委員会の開催を申し入れるまでに約一ケ月半の期間を要したのは、社内における右問題に対する意思決定に必要な名古屋工場内部の打合せや本社との打合せにある程度の日時を要した上、前記のとおりちょうど労働協約の改定時期と合致し、しかも組合の要求の中に懲戒手続の改訂要求も含まれていたため、労働協約の改訂交渉が終了してから懲戒手続を進めた方が手続問題に関する余分な紛争を避けられると判断したこと及び当時支部執行委員長の下山が労働協約改訂交渉のため東京に滞在し、名古屋には殆どいなかったため、支部組合員の懲戒という重大案件を下山の不在のところで進行させるのは好ましくないと判断していたためであった。
(三) 一方、組合本部は、支部に対し申請人の懲戒問題は春闘終了後に取り上げるべきであるとの意見を示し、これを受けて支部は会社に対し本部意見どおりの要請をしたが、会社側の同意が得られなかったため、やむなく諮問委員会の開催申し入れに応じた。なお、当時田ノ浦工場においても会社から田ノ浦支部に対し諮問委員会の開催申し入れがあったが、同支部はこれを会社の春闘破壊攻撃ととらえて拒否した。
(不当労働行為成否の判断)
1 本件懲戒事由である申請人の行動が正当な組合活動であるとの主張について
(一) 体力調整期間の要求について
使用者は労働者をその支配下に置き業務命令によって指揮監督して労務に服せしめるものであるから、このような人的支配管理権限に内在する信義則上の配慮義務として、具体的な業務の遂行によって労働者の健康が損われる虞れがある場合には適切な措置を講じて労働者の健康を危険から保護するよう配慮すべき義務(健康配慮義務)があり、疾病により休業していた労働者を復職させる際にも、復職後の業務が右疾病を再発、増悪させることのないよう配慮すべき義務があるというべきである。
そこで、本件において会社が右の健康配慮義務に基づく措置として申請人に対しその主張のような体力調整期間を設定すべき義務があったか否かの点について検討するに、青井医師の意見及び横地医師の診断内容は、いずれも「申請人の病気は全治はしていないものの、現状では電炉職場のすべての作業に就労し得る状態である。」というものであったこと、青井医師は会社から電炉職場の環境及び具体的作業内容等について充分説明を受けてから右意見を述べたものであり、また、横地医師は会社の嘱託医で、電炉職場の環境や作業内容についても当然承知していたものと考えられることからして右意見及び診断内容には充分信頼性があること、もっとも、右両医師は、「常識的には粉塵の多い職場は好ましくない。」とも述べたため、会社は粉塵の少ない間接部門である技術課技術係への配転を考慮し、申請人からその意向を聴取したこと、申請人の六ケ月の体力調整期間の要求は、会社からの右配転提案及び横地医師の「六ケ月をめどに調べて様子をみたらどうか。」との話に触発されて思いついたものであるが、右医師は結核予防法上六ケ月毎にレントゲン検査を行なって保健所へ報告するものとされていることから右のように述べたものに過ぎず、申請人の右要求の根拠としては薄弱なものであったこと、申請人は会社に復職を申出た当時なお一年一一ケ月間の休職期間を残しており、かつ、その間、健康保険法による傷病手当金又は会社からの療養見舞金を受け得ることが保障されていたのであるから、電炉職場の原職に復帰する体力的な自信がなければ、休職を継続し充分な体力をつけてから復職する方法もあったこと、以上の諸点を総合考慮すると、会社には申請人に対しその主張のような体力調整期間を設定すべき信義則上の義務はなかったものと判断するのが相当である。また、当時会社の就業規則及び会社と組合間の労働協約にはいずれも長期療養者の復職後における体力調整期間に関する規定は置かれておらず、会社が従業員に対し申請人主張のような体力調整期間を設定した事例又はその類似例も存しなかったのであるから、就業規則、労働協約又は労使慣行上も会社には申請人の右要求に応ずべき義務はなかったものというべきである。
なお、申請人は、右要求の根拠の一つとして、「労災被害労働者の社会復帰特別対策」が行政指導として行なわれていることを挙げているが(右行政指導が行なわれていることは、当事者間に争いがない)、(証拠略)によれば、労働省の通達(昭和四八年一一月三日基発第五九三号)による右特別対策は、むちうち症、頸肩腕症候群、一酸化炭素中毒症、外傷による脳の器質的損傷の四つの傷病に被災した者について行なわれるものであり、右傷病が訓練的に就労することが治療上からも必要である点に着目して対象傷病者に対し療養期間中の計画的就労を含むリハビリテーションを事業者が講じるよう行政指導するものであることが一応認められるから、申請人のような肺結核の場合には直接当てはまらない上、右はあくまでも行政指導に過ぎないから、これによって使用者に対し療養中又は療養後に職場復帰を希望する労働者を受入れ、これに対し計画的就労を含むリハビリテーションの措置を講ずべき法的義務を課したものと解することはできない。
以上のとおり、会社には申請人に対し体力調整期間を設定すべき法的義務はなく、従って、申請人は会社に対し右期間の設定を求める法的権利を有していなかったものといわざるを得ないが、そうであるからといって、申請人が会社に対し体力調整期間の要求をしたことをもってあながち不当なものとして非難することはできない。一般に、長期療養後復帰しようとする労働者(特に肉体労働者)が、長期療養による体力、仕事に対する勘の衰えや就労による疾病の再発等について不安を抱き、復職当初の一定期間は疲労の少ない軽易な仕事に就いて徐々に体を慣らした上で休業前の業務に就きたいと希望するのは無理からぬものがあり、申請人の場合も、肺結核により約一年間の長期にわたり療養していたもので、復職申出当時、就労可能な状態に復していたものの全治には至っておらず、なお二週間に一回の通院が必要な状態であったこと、復職した場合に従事すべきケレン検査業務は電炉係の各種作業(但し、変電所勤務を除く)の中では最も軽易な部類に属するとはいえ、かなりの体力を要し、かつ、粉塵の影響を受ける肉体労働であったことを考慮すると、申請人の右要求は、六ケ月という期間の当否の点は別として、労働者の要求として充分理解し得るものというべきである。
(二) 本件懲戒事由である申請人の行為が組合活動であるか否かについて
申請人の会社に対する体力調整期間の要求は、労働組合の目的である労働条件の維持改善に関する事項であるというべきところ、支部が、申請人の右要求を機関として取上げず、会社と交渉しなかったことは、当事者間に争いがない。
ところで、労働組合法七条一号の「労働組合の行為」とは、組合の機関決定、指令に基づく行為やその黙示の承認のもとになされる日常の組合活動のみに限られず、組合の機関決定や指令に基づかない組合員の自発的活動であっても、その動機、目的、態様、組合運営の実状等からみて組合の団結強化又は組合員の生活利益の擁護に資するものであると客観的に認められ、かつ、組合の機関決定や指令に基づかないでしたことにつき相当の理由がある場合には「労働組合の行為」に該当するものと解するのが相当である。
そこで、本件において申請人が会社に対する体力調整期間の要求行動を支部の機関決定に基づかないでしたことにつき相当の理由があったか否かの点について検討するに、申請人は、支部が申請人の右要求に取り組もうとしないため、やむなく自発的に活動したものであると主張するが、前認定の事実関係によれば、申請人は、右要求実現のために積極的に支部の支持、協力を求めることをせず、会社に対する関係では常に単独で行動したものであって、申請人の右主張は事実に反するものといわざるを得ない。すなわち、申請人は、労働協約及び就業規則上制度として認められておらず、また労使慣行上も存在していなかった六ケ月の体力調整期間の設定という新しい要求を会社との復職交渉の中ではじめて持ち出したものであって、会社としては先例になることを懸念して右要求を容易に受入れないであろうことが当然予想され、実際にも右要求に応じなかったのであるから、申請人としては支部に対し自己の病状、医師の意見を説明するなどして体力調整期間設定の必要性を訴え、その実現のために支部の支持、協力を得るよう積極的に努力すべきであったというべきである(申請人の右要求を長期療養者一般の復職に関する労働条件の獲得要求としてとらえると、労働協約上、支部単独では会社と協議、交渉し得ず、本部において中央労働協議会等で会社と交渉すべき事項になるが、取敢えず申請人の場合に限定して会社に体力調整期間の設定を働きかけることは支部単独でも当然なし得る事柄である)。しかるに、申請人は、復職開始後間もなくの時点で支部に対し、「現在復職について会社と交渉しているので、私を無視したところで執行部と会社で協定しないで欲しい。」旨、事実上支部の関与を拒否したものと受けとられかねない申入れをし、その後も復職するまでに僅かに、会社からの「復職に係わる問い合わせ」の真意について下山支部執行委員長らの意見を求めたことがあるのみで、具体的な交渉経過を自ら直接支部に報告することなく専ら自己の判断で会社と単独で交渉したものであり、本件懲戒事由とされた昭和四八年一月二五日及び同月二七日の行為も、支部が申請人の復職問題に関与しない方針を正式に表明する以前の行為であるから、右行為をもって、支部が申請人の要求に取り組もうとしないためやむなく自発的にしたものということはできない。もっとも、同年二月一三日の申請人の行為は、支部の右見解表明後の行為であるが、支部は二月初め頃それまでの不関与の方針を変え、申請人に対し復職後の労働条件について話合いをしたい旨申し入れ、同月一三日には右話合いがなされたのであるから、右行為も、支部が申請人の要求に取り組もうとしないためやむなく自発的にしたものと評価することはできない。なお、申請人は、支部執行部は労使協調派であるとしてこれに不信感を抱いていたものであるが、昭和四六年一〇月に申請人に関して発生した年休振替問題及び昭和四七年五月に発生した支部青婦部のステッカー問題の際には、支部執行部が会社と交渉し、相当の成果を挙げており、また、当時の支部の運営が不正常で非民主的であったことを裏付ける事実を疎明する証拠も存しないから、申請人が支部執行部に対し不信感を抱いていたからといって、これをもって申請人が支部の支持、協力を求める努力をしなかったことを正当化する理由とすることはできない。
以上のとおり、申請人が会社に対する体力調整期間の要求行動を支部の機関決定に基づかないでしたことにつき相当の理由があったとはいえないから、申請人の昭和四八年一月二五日、同月二七日、二月一三日の行為は、労働組合法七条一号の「労働組合の行為」に該当しないものと解するのが相当である。なお、仮に、右三日間の行為が「労働組合の行為」に該当するとしても、右行為は、会社が申請人の体力調整期間の要求に応じなかったこと及びその他復職交渉における会社の対応態度に対する憤懣の念から、総務課の管理職及び製造課電炉係の上司に対し極めて粗暴な言動に及び、かつ、それに終始したものであって、到底申請人の右要求について真面目な話合いを求めるというものではなく、また抗議の方法、態様も社会通念上容認される程度を越えているから、「正当な組合活動」に該当しないことが明らかである。
2 申請人が活発な組合活動家であるとの主張について
まず、申請人の組合役員歴の点からみるに、前認定事実によれば、申請人は昭和四二年八月から二年間支部青婦部運営委員を、昭和四四年八月から約六ケ月間支部評議員及び支部青婦部運営委員を、昭和四六年八月から約六ケ月間支部執行委員及び支部青婦部長をしたものであって、右役員歴からすると、支部の専門部の一つである青婦部での役員経験が主であり、支部の幹部役員であった期間は短期間に過ぎなかったことが明らかである。
次に、具体的な組合活動の点を検討するに、申請人は昭和四四年から同四六年にかけての電炉職場の職場改善闘争において自己が中心となって組合活動を展開し、それによって種々の改善措置を勝ち取ったと主張するが、右主張事実が認められないことは既に判断したとおりである。また、申請人は、反戦派労働者の一人として、昭和四四年秋の「一〇・一一月佐藤訪米阻止闘争」等のいわゆる反戦闘争に参加しているが、その目的からして労働者の経済的利益に関係のない純粋な政治活動というべきであるから、正当な組合活動に該当しないものといわざるを得ない。
その他、前認定の申請人の組合活動を考慮しても、申請人をもって特に活発な組合活動家であったと認めるのは困難である。
3 会社が昭和四五年頃から三菱型労務管理を遂行し始めたとの主張について
申請人は、会社は昭和四五年頃から組合員一人一人を労働組合の媒介なしに管理することを目指した三菱型労務管理を遂行し始めたと主張し、その具体例として、雑誌「PHP」の導入、安全教育、業務組織の変更等を挙げているが、既に判断したとおり、右具体例に関する申請人の主張事実は、いずれもこれを疎明する証拠を欠くものや、その実態からみて申請人主張の三菱型労務管理なるものを裏付けるに足りないものであるから(ステッカー問題については会社側にも行き過ぎの点があったことは、前認定のとおりであるが、右は一回的な出来事に過ぎない。)、申請人の右主張は理由がないものといわざるを得ない。
4 会社が申請人を含む反戦派組合員及びその同調者をその組合活動の故に嫌悪し、下級職制を通じて申請人らを排除しようとしたり、不利益取扱をしたとの主張について
会社が昭和四四年一二月頃申請人が反戦派労働者に属するものであることを知ったこと、和泉係長らが組合員である加藤志都子、加藤広康、土方律子に対し申請人や井上峰夫ら反戦派に属する組合員との接触、交際を避けるようにとの趣旨の発言をしたことは、前認定のとおりであり、その他前記(事実関係)7(二)(2)項において認定した諸事実を総合すると、会社は申請人ら反戦派組合員に対し嫌悪の念を抱いていたものと認めるのが相当である。
しかしながら、申請人が自己に対する不利益取扱の例として主張する昇進の件については、前認定のとおり申請人が昇進しなかったことにつき合理的理由があったものであり、また、年休振替の件についても、櫟原係長らが申請人に対し欠勤届の提出を求めたこと自体は従業員の労使慣行に反した差別的取扱ということができないことは既に判断したとおりである。もっとも、米倉工長が申請人に対し、「欠勤届を出すまでは現場に入れない。」と述べた点は、強硬に過ぎたものといわざるを得ないが、(証拠略)によれば、右の件につき申請人から報告を受けた中村書記長が田中組長に事実を確認した後、申請人は仕事に就いており、中村書記長が労働係へ行き、また、支部三役が会社と交渉したのは、いずれも申請人が仕事に就いた後であることが一応認められるから、右事実経過からすると米倉工長の右発言は申請人の態度に対する個人的な反発感情から出たものであって、会社の指示、方針に基づいたものではなかったものと推認するのが相当である。次に、前記土方が退職した件についても、前認定の事実経過に照らすと、会社が土方の組合活動を理由にその父親に圧力をかけて退職させたものと認めるのは困難である。他に、会社が反戦派組合員及びその同調者に対しその組合活動を理由に不利益取扱をしたとの主張、立証はない。
以上のとおり、会社が反戦派組合員及びその同調者に対しその組合活動を理由に不利益取扱をした事実がないこと及び前認定のとおり、昭和四四年秋の「一〇・一一月佐藤訪米阻止闘争」に参加した名古屋工場所属の反戦派組合員が三名も逮捕され、うち二名は約一年間勾留され一審でいずれも有罪判決を受けた事実を併せ考慮すると、和泉係長らの前記発言は、他人の感化、影響を受けやすい若年の従業員が申請人らの影響を受けて過激な反戦闘争に参加し、その中から再び逮捕者が出ることを憂慮したためであると推認するのが相当である。従って、反戦派組合員に対する会社の嫌悪感は、その過激な政治活動に起因したものであって組合活動を理由とするものではないと認めるのが相当である。
5 会社が申請人の復職をできれば許したくないとの意思を有していたとの主張について
申請人は、会社は申請人の復職申出当時の研究課廃止問題に関する労使の状況及び青婦部内における運動方針をめぐる労使協調派と反戦派との間の緊張関係の存在から、反戦派組合員の中心的存在である申請人が復職することを歓迎していなかったと主張するが、先に認定したとおり、当時、研究課廃止問題に関する労使の交渉は既に重要な争点について合意が成立し、サーモロンS業務に従事していた旧研究課員の再配転の問題を残していたのみであって、労使の対立関係は存しなかったものであり、また、後者については、たとえ申請人主張のような緊張関係が存在していたとしても、その事実を会社が知っていたことを疎明する証拠がないから、申請人の右主張は理由がないというべきである。
また、申請人は、和泉係長が青井医師の診断内容に疑義を持って同医師に面接したこと及び会社が労働協約六〇条の要保護者条項の適用を検討した点からしても、会社が申請人を復職させたくないとの意思を有していたことが裏付けられるとも主張するが、前認定の事実関係によれば、和泉係長が青井医師に面接したこと及び会社が要保護者条項の適用の有無を検討したこと(会社が右条項の適用の有無を検討したことは、証人和泉堯の第二回証言により一応認められる。)は、従業員に対し健康配慮義務を負っている会社として、復職の可否及び復職時又は復職後における配転、勤務制限の要否を判断するために当然なすべき事柄というべきであるし、喀痰検査に関する和泉係長の発言も、申請人に対し会社の技術係への配転提案について、「喀痰検査の結果が出るのは一週間後位だから、それまで考えて返事すれば今すぐ返事をしなくてもよい。」と述べたものであるから、申請人の右主張も理由がない。
6 会社が申請人を電炉職場から排除したいとの意思を有していたとの主張について
申請人は、会社は申請人を技術係に配転することによって組合活動家としての申請人の活動の場面を非常に少なくし、電炉係の反戦派の団結活動が力を盛り返すのを防ぐことを狙ったと主張するが、前認定のとおり、会社は申請人の健康を考えて技術係への配転を提案し、その意向を聴取したものであって、内容証明郵便で申請人に対してなした「復職に係わる問い合わせ」においても、復職先の選択を申請人の自由意思に委ねていることからも明らかなように申請人の意思に反してまでも技術係への配転を強行しようという意思は全くなかったものであり、また、弁論の全趣旨によれば技術係も電炉係と同じく名古屋工場内にある常昼勤職場であることが一応認められ、配転によって申請人の組合活動に特に支障を来たす虞れもなかったのであるから、右主張は理由がないものといわざるを得ない。
7 会社の申請人に対する「復職に係わる問い合わせ」が実質的な解雇予告であるとの主張について
前認定事実によれば、会社は復職について申請人の最終的な意思を確認するために右の「問い合わせ」をしたものであり、その中の「所定日時までに返答のない場合は就労の意思がないものとみなす。」との部分の趣旨は、文章全体からみて「返答のない場合は三つの選択肢のうち二番目の休職継続を選択したものとみなす。」という意味であることが理解し得るから、右主張も理由がない。
8 本件諮問委員会の運営の実態にも会社の不当労働行為意思がみられるとの主張について
申請人は、本件諮問委員会が春闘期間中に開催されたこと及び同委員会がその審理手続において労働協約三八条の守秘義務を口実に一切を秘密にし、申請人が秘密遵守を約束することを申請人に対する事実調査及び弁明手続開始の条件としたのは、従来の慣例からみて極めて異例であり、このように会社が労働協約所定の手続を無視してまでも申請人の解雇を強行しようとしたのは、申請人の組合活動を嫌って申請人を会社から排除しようとする意思があったためであると主張する。
しかしながら、前認定事実によれば、本件諮問委員会が春闘期間中に開催されるに至ったことについては会社側にしてみればやむを得ない理由があったというべきであり、また、右委員会が申請人から事情聴取をしたり弁明を聞くに際し協約三八条に基づく守秘義務の確認を求めたのは過去の例にならったものであるから、右主張も理由がない。
9 結論
以上判断したとおり、本件懲戒事由である申請人の行為は正当な組合活動には該当しないし、申請人が会社の不当労働行為意思を推測させる間接事実として主張するところのものも、いずれもこれを疎明する証拠を欠くか、会社の不当労働行為意思を推測せしめるに足りないものであるから、本件解雇が労働組合法七条一号及び三号の不当労働行為に該当するとの申請人の主張は理由がない。
七 懲戒権濫用の主張について
1 申請人が本件懲戒事由である行為をするに至った動機、背景について
申請人が昭和四七年一二月三〇日会社に復職を申し出てから昭和四八年一月二五日、同月二七日及び二月一三日に本件懲戒事由である行為をするまでの間の経緯を通観すると、申請人は、会社の技術課技術係への配転提案を、自己をその組合活動の基盤である電炉職場から排除しようとする不当な配転攻撃であると考えたため、復職交渉の当初から会社に対し不信感を抱き、テープレコーダーを交渉の場に持込んで話合いの内容を録音しようとしたことから、右録音に反対する会社との間に対立関係が生じ、同年一月一六日以降交渉が事実上中断するに至ったこと、その後、同月二〇日に会社が申請人に対し内容証明郵便で「復職に係わる問い合わせ」をしたため、申請人は、右の「問い合わせ」は実質的な解雇予告であるとして強く反発し、同月二二日、二三日の両日にわたって山上課長及び和泉係長に抗議したが、同課長らは申請人がテープレコーダー停止の要求に応じないことを理由に申請人に取り合わなかったため、申請人の反発感情は益々高まったこと、同月二五日申請人は電炉係に復職したが、会社が申請人の体力調整期間の要求に応じなかったこと及び復職交渉における会社側の態度に強い不満を抱いていたため、復職後の健康状態に対する不安感も手伝って本件懲戒事由である行為に及んだこと、以上のように概括することができる。
ところで、申請人は、会社の配転提案が不当な配転攻撃であることの根拠の一つとして、会社が「健康になった場合に申請人を技術係から電炉係に戻すことは約束できない。」と述べたことを挙げており、復職辞令発令後間もなくの時点に申請人を支援する従業員グループによって配布されたビラの一つである(証拠略)にも、「会社の右対応からみて、会社のいう健康上の理由がペテンであり、配転提案は労務管理の必要性からきたものであることが明らかである。」旨の記載がある。これに対し、会社は、「将来の人事の約束ができないことは人事の鉄則である。」と反論しているが、(人証略)によれば、会社としては、申請人が一旦技術係への配転に応ずれば、その後に申請人を電炉係に戻すことは全く考えていなかったことが明らかである。しかしながら、前認定のとおり、電炉係(但し、変電所勤務を除く)はじん肺法所定のじん肺指定職場であって粉塵、高温の影響を受け、工場内で最も作業者の汚れのひどい職場であるのに対し、技術係の方は粉塵の影響の少ない間接部門であって、電炉係に比べると仕事もはるかに楽であり、そこへの配転希望者の多い職場であることから、電炉係から技術係への配転の方が、技術係から電炉係への配転に比べてはるかに容易であると考えられること(因みに、前記ビラの一つである<証拠略>には『申請人が自分だけの利益を考えるならば、技術係への配転に応ずればよいのだから、体力調整期間要求の闘いは馬鹿げている』との記載がある。)(証拠略)によれば、電炉係においては昭和四八年度中に定年退職者が二名あり、その補充のため三名の者を中途採用したが、うち二名は約三年以内に退職していること(<証拠略>の昭和四七年一二月三〇日支部教宣部発行のビラには、『電炉係の自己退職者の補充については新聞で募集しているが、なかなか応募がない。』との記載がある。)及び申請人の等級は実務職の低位クラスであり、与えられる職務の内容は比較的単純であって他の者との代替性が大きいことを考えると、会社としては、申請人の病気が全治した段階で申請人を技術係から電炉係に再配転することは比較的容易であったと思われるのであって、会社の前記対応は頑なに過ぎたものといわざるを得ず、申請人から誤解を受けても致し方ないところがあったというべきである。
次に、会社が申請人に対し「復職に係わる問い合わせ」をしたのは、申請人との交渉がテープレコーダー問題で事実上中断状態になったため申請人の最終的意思を確認する目的でしたものであるが、会社としては、労働協約九条で「会社は人事の公正妥当を旨とし、組合の意向を尊重して行なう。」と定められており、また、いずれ申請人の転換が内定した場合には支部にその理由及び職場を通知しなければならない(協約一三条)のであるから、申請人個人との復職交渉が行き詰まった段階において、事態を打開するため支部に事情を説明し、支部を通じて申請人の意思を確認する等の適切な措置をとるべきであって、かかる措置をとることなく、申請人に対し内容証明郵便によって意思確認をしたのは方法において穏当を欠いたものといわざるを得ない。
更に、右の「問い合わせ」において、「所定の日時までに返答のない場合は就労の意思がないものとみなす。」とした点も、申請人が当初から会社に対し休職前の原職である電炉係への復職を申し出ていたことからみて、申請人の反発を招きやすい文章であるのみならず、その表現自体も申請人が実質的な解雇予告であると誤解したことからも明らかなように、やや明確さを欠いたものといわざるを得ない。
また、山上課長らは、昭和四八年一月二四日に申請人に復職辞令を手渡した際、申請人から体力調整期間について返事をして欲しい旨求められたが、葬儀出席のため急いでいたことから、申請人と何ら話合いの機会を持たなかったのであるが、同月二二日及び二三日の申請人の言動からみて、単に申請人に対し電炉係への復職辞令を発したのみでは申請人の会社に対する不満の念は容易に解消せず、将来再び申請人が右両日と同様な行為に及ぶ虞れがあることを予測し得たものというべきであるから、同課長らとしては、辞令交付の際に申請人に対し、会社が電炉係への復職を命ずるに至った理由及び体力調整期間の要求に応じられない理由を充分説明し、申請人の納得を得るよう努めるべきであったというべきである。
以上のとおり、申請人が本件懲戒事由である行為に及んだ経過をみると、復職交渉においてそれまで労使慣行として認められていなかったテープレコーダーによる録音に固執したり、体力調整期間という新しい要求を短兵急に実現しようとした点に申請人側に少なからざる落度があったことは明らかであるけれども、会社側にも、長期療養後復職しようとする労働者の心情、不安感(会社が復職を認めてくれるか否かについての不安感、慣れ親しんだ元の職場に復帰したいが、さりとて復帰後直ちに元通り就労した場合には病気が再発したり増悪しないだろうかとの不安感)に対する理解、配慮が充分でなく、申請人に対する対応に適切を欠いた点に落度があったというべきである。その他、組合員の労働条件の維持改善の任に当るべき支部の申請人の復職問題に対する取組み方が消極的であったことや復職後における申請人の健康状態等、前認定の諸般の事情を考慮すると、申請人が本件懲戒事由である行為に及んだことについては、その動機に情状酌量すべきものがあるというべきである。
2 本件懲戒事由である行為の態様について
(一) 昭和四八年一月二五日及び同月二七日の行為について
右両日の行為のうち、就業規則八〇条四号所定の「他人に対する暴行脅迫」に該当する行為は、(1)第三応接室で和泉係長の隣の椅子を強く蹴飛ばした上、作業用ヘルメットでテーブルを強打しながら大声で暴言を繰り返し、同係長に詰め寄った行為(一月二五日)、(2)第三応接室で右ヘルメットを山上課長の方に向けてテーブルの上に投げつけた行為(右同)、(3)総務課事務室の出入口付近において山上課長の前面に立ちはだかり同課長の目を突かんばかりの距離に指を突きつけ、暴言を吐きながら進路を妨害した行為(右同)、(4)右事務室内で和泉係長の机を手で強打し、更に山上課長の机を持っていたタオルや手で強打した行為、(5)山上課長の机に体をぶつけたり、手で机を殴打しながら暴言を繰り返した行為(一月二七日)であるところ、(証拠略)によれば申請人の蹴飛ばした椅子が倒れたり、和泉係長に当ったことはなく、山上課長の方に向けて投げつけられたヘルメットも同課長に当らなかったことが一応認められる。しかして、右各行為は客観的にみるといずれも山上課長や和泉係長に向けられた違法な有形力の行使というべきであるが、相手の身体に対し直接危害を加えたものではなく、単に相手に対し精神的動揺や不快、嫌悪といった精神的苦痛を与えたに過ぎないものであり、実害も発生しなかったこと、抗議をする場合には相手方に対し指を突きつけたり、机を叩いたりすることが往々にしてみられることからして、相手を殴打したり足蹴りにした場合と比較すれば、情状は軽いというべきである。
次に、業務妨害の点については、右両日の申請人の行為により一月二五日には約四〇分間、同月二七日には約二〇分間山上課長、和泉係長及び総務課事務室在室の者らの正常な業務の遂行が著しく妨害されたのであるが、それによって会社が能率低下以外の何らかの実害を蒙ったことを疎明する証拠はない。
(二) 同年二月一三日の言動について
申請人本人尋問の結果によれば、申請人は、一月二七日に開かれた南北電炉班の職場懇談会における櫟原電炉係長の応答が冷淡なものであったとして同係長に不満の念を抱いていたところ、二月一三日の朝加工係に赴きケレン作業に用いるケレン用鋸刃の刃を落した上、右鋸刃を持って手洗場付近まで戻ってきたところ、一〇三号炉前付近に櫟原係長及び田中組長の姿をみかけたため、同係長に自己の体の状況について訴えるため近付いていったが、同係長が勤務時間中であること等を理由に申請人に全く取り合おうとしなかったため次第に興奮し鋸刃で同係長の胸元を小突くに及んだものであって、当初から鋸刃で同係長を脅したり小突いたりする目的で近付いていったものではないことが一応認められる。
また、(人証略)によれば、田中組長(当時満四二歳)はケレン場において申請人が櫟原係長の胸元を鋸刃で小突いているのをすぐそばで現認していたのに、言葉で申請人を制したのみで、両者の間に割って入るとか、申請人を背後からはがい締めにする等の行為はしておらず、手洗場のそばにある電話で労働係に連絡をした後も急いで櫟原係長の所に戻ることをしないで電話の方を振り向きながら倉庫付近まで戻り、そこで手洗場付近に林製造課長と和泉係長が現われたのを見つけるや、右両名を迎えにいって事情を説明したもので、この間申請人と櫟原係長の様子は何ら確認していなかったこと、また林課長らは田中組長から説明を受けたのみで、櫟原係長から直接事情を聴取することをしないで帰ったことが一応認められる。
以上の事実に、前認定の鋸刃の形状及び櫟原係長が申請人の暴行により何らかの傷害を負ったり、あるいは同人の皮膚に発赤等の異常が生じたことを疎明する証拠がないことを併せ考えると、申請人の暴行はそれ程危険性の大きいものではなかったというべきである。
3 過去の暴力事犯に関する会社の懲戒例との比較について
当事者間に争いのない事実に(証拠略)を総合すると、農上静雄は昭和四六年一月に申請人主張の暴行を働いたことにより出勤停止七日間に、下山照夫は昭和四六年三月申請人主張の暴行を働いたことにより出勤停止五日間に、池田光は昭和四六年七月被申請人主張の暴行を働いたことにより出勤停止七日間に、田中敬一は昭和四五年四月被申請人主張の暴行を働いたことにより出勤停止一〇日間に、下山茂及び下山照夫は昭和四九年一二月被申請人主張の暴行を働いたことにより各出勤停止七日間にそれぞれ処せられたことが一応認められ、(人証略)中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
しかして、右農上、下山照夫及び下山両名の場合は、いずれも会社外において就業時間外に飲酒の上同僚に暴行を働いたものであり、本件事案とは全く態様を異にするから比較の対象になり得ないというべきであり、池田の場合も会社内で就業時間中に発生したものとはいえ、同僚に対する偶発的な暴行である点において本件事案と態様を異にするから、これと本件事案とを比較するのは適切でないといわざるを得ない。
田中の場合は、会社内で就業時間中に上司の指示に反し、上司を威嚇した点において本件事案と類似しているが、田中が懲戒処分事由である行為をするに至った詳細な事情を疎明する証拠がないから、本件事案と懲戒処分の軽重を直ちに比較するのは困難である。
4 結論
右1、2項において指摘した点の他、当時申請人がまだ満二四歳の若年であったこと、本件以前に前認定の減給処分の他に懲戒処分を受けたことはなく、上司に対し暴行脅迫を働いた前歴があることを疎明する証拠もないこと等前認定の諸般の事情を総合すると、本件懲戒解雇処分は重きに失したものといわざるを得ない。更に、既に説示した懲戒手続における弁明手続不履践の点も併せ考えると、本件解雇は社会通念上著しく妥当を欠き、解雇権の濫用に該当するものと判断するのが相当である。
八 賃金請求権について
(証拠略)によれば、会社は本件解雇の日の翌日である昭和四八年四月一二日以降申請人の労務の受領を拒否していることが一応認められるところ、既に説示したとおり本件解雇は解雇権の濫用に該当し無効であるから、会社は自己の責に帰すべき事由により申請人の労務の受領を拒否しているものというべきである。従って、申請人は民法五三六条二項により会社に対し就業規則及び労働協約に基づく月額給与及び一時金の支払を請求する権利を有しているものというべきである。よって、以下その額について判断する。
1 月額給与について
(一) 会社が従業員に対し毎月二五日に前月二一日から当月二〇日までの分の月額給与を支給していること、申請人が昭和四八年三月当時支給を受けていた月額給与が一ケ月五万五七一〇円であり、その明細が申請人主張のとおりであったこと及び本給、加給及び勤務地手当が基準内賃金であることは、当事者間に争いがない。
(二) 等級について
申請人が、昭和四八年三月当時実務三級であったことは当事者間に争いがなく、右実務三級への昇進日が昭和四三年三月二一日であったこと、昇進は各等級につき定められた最低滞留期間を経過した者につき勤務成績、職務能力の評定により実施されること、実務三級の滞留期間は最低二年、最高六年(最高滞留期間が経過すれば特別の事情のない限り自動昇進できる)であること、申請人の昭和四五年から本件解雇時までの勤務成績、勤怠状況は悪かったこと及び申請人が昭和四七年六月二一日から同四八年一月二四日まで傷病休職をしたことは、前認定のとおりである。
また、(証拠略)によれば、滞留期間内に休職(組合業務及び公職についたための休職を除く)期間があったときは、その三割に相当する期間が滞留期間から控除されること、実務四級の滞留期間は最低が三年、最高が七年であること及び昇進は毎年三月二一日付で行なわれることが一応認められる。
以上の事実によれば、申請人は昭和五〇年三月二一日付で実務四級に、昭和五七年三月二一日付で実務五級にそれぞれ昇進(自動昇進)したものと推認するのが相当である。
(三) 本給について
(1) 昭和四八年度の本給
申請人の昭和四八年度の本給は、前年度の本給四万〇一〇〇円に定昇額、等級定額、一律額及び年令調整額を加えたものから不就業減額を控除したものであること、右のうち等級定額は五〇〇円、一律額は五七〇〇円、不就業減額は二五〇円であることは、当事者間に争いがない。
(証拠略)によれば、本給の昇給は毎年三月二一日に行なわれること、昇給額は、昇給資格者の昇給日の前日の等級における昇級区分と昇級日前一ケ年間における所定勤務日数のうちの不就業日数に応じて定められること、右昇給区分は、昇給前一ケ年間における勤務成績によってA、B、Cの三等級とし、特に必要のある場合はAの上に特Aを、Cの下に特Cが設けられること、昭和四八年度の実務三級の定昇額は、特Aが一二〇〇円、Aが一一〇〇円、Bが一〇〇〇円、Cが九〇〇円、特Cが八〇〇円であったこと、右年度の申請人の年令調整額は五〇〇円であったことが一応認められ、前認定の申請人の勤務成績からすれば、申請人の昭和四八年度の定昇額は八〇〇円と認定するのが相当である。
以上の事実によれば、申請人の昭和四八年度の本給は、被申請人主張のとおり月額四万七三五〇円になる。
(2) 昭和四九年度ないし同五七年度の本給
(証拠略)によれば、申請人の昭和四九年度の本給額は前年度の本給に定昇額、等級定額及び一律額を加えたものであり、昭和五〇年度ないし同五七年度の本給は、各年度の本給に定昇額及び一律額を加えたものであること、昭和四九年度の実務三級の等級定額及び昭和四九年度ないし同五七年度の一律額はいずれも別表四の注2(二)記載のとおりであること、昭和四九年度及び同五〇年度の実務三級の定昇額は昭和四八年度の場合と同一であり、昭和五一年度ないし同五五年度の実務四級の定昇額は、特Aが一四〇〇円、Aが一三〇〇円、Bが一二〇〇円、Cが一一〇〇円、特Cが一〇〇〇円であったことが一応認められる。
そして、(証拠略)によれば、昭和五六年度及び同五七年度の実務四級の平均定昇額は、昭和五五年度の平均定昇額と殆ど同額であったことが一応認められるから、昭和五六年度及び同五七年度の実務四級の成績ランク毎の定昇額も、昭和五一年度ないし同五五年度の場合と同一であったものと推認するのが相当である。また、前認定の申請人の成績からすれば、申請人の昭和四九年度ないし同五七年度の成績ランクを特Cとして定昇額を算定するのが相当というべきである。
以上の事実及び前認定の申請人の昭和四九年度以降の等級によれば、申請人の昭和四九年度ないし同五七年度の本給昇給額は、別表四の注2(二)記載のとおりになるから、申請人が支払を受けるべき右各年度の本給額は、右別表の本給欄記載のとおりになる。
(四) 加給について
(1) 昭和四八年度の加給
申請人の右年度の加給が月額一万二七〇〇円であることは、当事者間に争いがない。
(2) 昭和四九年度ないし同五七年度の加給
加給の一般的な算出方法及び昭和四九年度ないし同五七年度の加給算出表の内容が申請人主張のとおりであることは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、昭和五〇年度の加給は、四月分及び五月分については、別表六の(3)―Aの加給算出表により算出するが、同年五月二一日から勤務地手当が廃止されて加給に組み入れられたことから、同年六月分ないし昭和五一年三月分については、前年度の等級と滞留期間に基づいて別表六の(3)―Bの加給算出表により算出した金額と右(3)―Aの加給算出表により算出した金額とを合計して算出することが一応認められる。
以上の事実並びに前認定の申請人の昭和四八年度以降の等級及びその滞留期間、実務三級及び同四級の最低滞留期間を総合すると、申請人が支払を受けるべき昭和四九年度ないし同五七年度の加給額は別表四の加給欄記載のとおりであることが認められる。
(五) 勤務地手当について
勤務地手当の算出方法が申請人主張のとおりであることは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、昭和五〇年四月分及び五月分の勤務地手当は、昭和四九年度と同額であったことが一応認められる。
右事実に前認定の申請人の昭和四八年度及び同四九年度の本給並びに加給額を総合すると、申請人が支払を受けるべき昭和四八年度ないし同五〇年度(但し、五〇年度は六月分から勤務地手当が廃止されたため四月分及び五月分のみ)の勤務地手当は、別表四の右手当欄記載のとおりであることが認められる。
(六) 補正給について
補正給が勤務地手当の廃止に伴い地域差を補正するため昭和五〇年度に限って支給されたものであることは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、補正給が支給されたのは昭和五〇年六月分から昭和五一年三月分までであり、その計算方法は被申請人主張のとおりであって、申請人が支払を受けるべき補正給の額は八一〇円であること及び補正給は基準外賃金であることが一応認められる。
(七) 特殊作業手当について
申請人が本件解雇当時、ケレン検査業務に従事していたこと、右業務従事者に特殊作業手当が支給されることは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、右手当は特殊作業に一日三時間以上従事したときに日額をもって支給されるもので、ケレン検査業務の場合は、昭和四八年度及び同四九年度が日額七〇円、昭和五〇年度以降が日額一一〇円であることが一応認められる。
しかして、申請人は本件により解雇されなければ、昭和四八年四月一二日以降一ケ月平均二五日間ケレン検査業務に従事し得たものと推認するのが相当であるから、申請人が支払を受けるべき特殊作業手当は、昭和四八年度及び同四九年度が一ケ月当り一七五〇円、昭和五〇年度以降が一ケ月当り二七五〇円になる。
(八) まとめ
以上によれば、申請人が支払を受けるべき昭和四八年度ないし同五七年度の月額給与は、別表七の合計欄記載のとおりであるから、本件解雇の日の翌日である昭和四八年四月一二日から本件口頭弁論終結時に最も近い賃金締切日である昭和五七年七月二〇日までの間の申請人に対する月額給与の未払額は別表八記載のとおり合計一二八二万六四八一円になる。
2 一時金について
(一) 夏季及び冬季一時金
(1) 会社が従業員に対し昭和四八年度から同五六年度まで毎年夏季及び冬季各一時金を支給したこと、右各一時金の支給日が昭和五一年度及び同五二年度各冬季一時金を除いて申請人主張のとおりであったことは、当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、昭和五一年度冬季一時金の支給日は昭和五一年一二月一四日であったことが一応認められる。なお、昭和五二年度冬季一時金については、その支給日が申請人主張の日であることを疎明する証拠はないが、少なくとも同年一二月中に支給されたことについては、当事者間に争いがない。
(2) (証拠略)によれば、次の事実が一応認められる。
(ア) 昭和四八年度ないし同五六年度の夏季及び冬季各一時金の一般的算出方法は左記のとおりであること。
一時金額=比例配分+等級割±成績格差-不就業減額
(イ) 比例配分は、各人の当該年度における基準内賃金額(但し、昭和四八年度夏季一時金の場合は、昭和四七年一一月二〇日現在の基準内賃金額、昭和四九年度夏季一時金の場合は、昭和四八年度の基準内賃金額であり、昭和五〇年度冬季一時金以降については、昇進者は基準内賃金額から各一時金協定により各等級毎に定められた昇進者減額分が控除される。)に各一時金協定により定められた比例配分係数を乗じて算出するものであり(但し、一〇〇円未満の金額は一〇〇円に切上げ)、等級割は各一時金協定により各等級毎に一律に定められること(但し、昭和五〇年度夏季一時金については、非昇進者と昇進者とで等級割額に差がある)。成績格差は、支給対象期間内における勤務成績に応じて実務三級及び四級の場合は特A、A、B、C、特Cの五ランクに分けられ、特Aの者には各一時金協定により各等級毎に定められた成績格差の倍額が、Aの者に対しては右格差額がそれぞれ加算され、Cの者からは右格差額が、特Cの者からはその倍額がそれぞれ減額されること。不就業減額は、昭和四八年度夏季一時金の場合は、比例配分、等級割及び成績格差の総額から、支給対象期間(昭和四七年一一月二一日~同四八年五月二〇日)内における傷病休職一日につき右総額の二〇〇分の一を、病気欠勤一日につき同じく四〇〇分の一を控除する(但し、控除額のうち五〇円未満の端数は切捨て)ものであり、右期間内における申請人の傷病休職日数は五一日間、病気欠勤日数は一五日間であったこと。
(ウ) 右各一時金における比例配分係数、昭和五〇年度冬季一時金における実務四級の昇進者減額の金額、昭和四八年度夏季ないし同四九年度冬季一時金における実務三級の等級割額及びそのうちの特Cの者の成績格差額、昭和五〇年度夏季ないし同五六年度冬季一時金における実務四級の等級割額(昭和五〇年度については昇進者の等級割額)及びそのうちの特Cの者の成績格差額は、いずれも被申請人主張のとおりであること。
(エ) 昭和四九年度冬季一時金については増益祝金として社員一律二万三〇〇〇円が、昭和五〇年度冬季一時金については増資記念として社員一律三万円が支給されたこと。
(3) ところで、前認定の申請人の勤務成績からすれば、昭和四八年度夏季ないし同五六年度冬季一時金における成績格差額については、申請人の成績ランクを特Cとして算出するのが相当というべきである。
(4) 以上の事実に、前認定の申請人の昭和四八年三月当時及び同年度以降の基準内賃金額、等級並びに昇進年月日を総合すると、申請人に支払われるべき昭和四八年度夏季ないし同五六年度冬季一時金の額は、別表五記載のとおりであることが認められる。
(二) その他の一時金
会社が従業員に対し昭和四九年度、同五〇年六月五日及び同五二年六月七日に申請人主張の一時金を支給したこと、申請人が在職していた場合受領すべき昭和五〇年六月五日及び同五二年六月七日支給の一時金の額が申請人主張のとおりであることは当事者間に争いがない。
(証拠略)によれば、昭和四九年度特別一時金は、昭和四八年度の基準内賃金の〇・八二一ケ月分(但し、五〇円未満の端数は切捨て)が支給されたことが一応認められ、申請人の昭和四八年度の基準内賃金額が六万四二五〇円であることは前認定のとおりであるから、申請人の右一時金額は五万二七〇〇円になる。
(三) まとめ
以上によれば、申請人が支払を受けるべき昭和四八年度から同五六年度までの間の各種一時金の合計は別表五記載のとおり五〇〇万四〇〇〇円になる。
3 申請人が解雇後他から得ている収入について
申請人が昭和五二年頃から土川運輸に勤め、現在は庄内運輸に正規従業員として働き、一ケ月手取り約一四万五〇〇〇円の給料を得ていることは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、申請人は土川運輸にはアルバイトとして勤めていたもので、多いときで月額約一四万円の賃金収入を得ていたこと、庄内運輸には昭和五四年五月二一日から勤務しており、それによる賃金収入は昭和五五年三月時点で一ケ月名目一七万五〇〇〇円前後であり、他に年間約四〇万円の賞与を得ていることが一応認められる。
ところで、使用者の責に帰すべき事由によって解雇された労働者が解雇期間内に他の職について利益を得た場合には、使用者は労働者に解雇期間中の賃金を支払うにあたり右利得金額を平均賃金の四割の範囲内で賃金額から控除することができるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和三七年七月二〇日第二小法廷判決参照)。
しかして、前認定事実によれば、申請人は遅くとも昭和五二年一二月から他で就労することにより被申請人から支払を受けるべき月額給与の四割を越える利益を得ていることが明らかであるから、昭和五三年一月分ないし同五七年七月分の月額給与からその四割に相当する金額を控除するのが相当である。月額給与に関する前認定事実によれば、昭和五三年一月分ないし同五七年七月分の月額給与の合計額は七四六万三七二〇円であることが計算上明らかであるから、これから控除すべき利得金額は二九八万五四八八円になる。
4 会社が供託した解雇予告手当について
会社が昭和四八年四月一二日名古屋法務局に解雇予告手当五万二一一六円を供託したことは当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨によれば、申請人は既に右手当の還付を受け、これを未払賃金の一部に充当したことが一応認められる。
5 結論
以上によれば、申請人は会社に対し、昭和四八年四月一二日から同五七年七月二〇日までの間の月額給与未払額一二八二万六四八一円と昭和四八年度から同五六年度までの間の各種一時金未払額五〇〇万四〇〇〇円との合計一七八三万〇四八一円から前記利得額二九八万五四八八円及び未払賃金充当額五万二一一六円を控除した残金一四七九万二八七七円並びに昭和五七年八月以降毎月二五日限り月額賃金一六万六五五〇円の支払を受ける権利を有するものというべきである。
九 保全の必要性について
申請人が遅くとも昭和五二年一二月から土川運輸にアルバイトとして勤め、多いときで月額約一四万円の賃金収入を得ていたこと、昭和五四年五月二一日からは庄内運輸に正規従業員として勤務し、昭和五五年三月当時一ケ月に名目で一七万五〇〇〇円前後、手取りで約一四万五〇〇〇円の給料を得、他に年間約四〇万円の賞与を得ていることは、前認定のとおりである。
そして、(証拠略)によれば、申請人は本件解雇以来現在に至るまで独身で、各古屋市内で一人で生活していること、申請人には、母親、兄一人、姉一人、妹二人、弟一人がおり(父親は昭和四七年一一月死亡)、本件解雇当時、兄と姉は独立して家庭を持ち、妹二人は看護婦、歯科衛生士として働いていたが、母親は無職で、弟は高校生であったため、毎月一万円程度仕送りをしていたこと、弟は現在は働いて収入を得ていること、申請人は庄内運輸においてクレーン運転手として稼働しており、同社において健康保険等の社会保険に加入していること、住居は本件解雇後も引続き会社の従業員寮に居住していたが、昭和五六年八月頃右寮を退去して肩書住所地(略)に転居したこと、愛知県人事委員会調査による昭和五四年四月時点での名古屋市居住の独身者の標準生計費は一ケ月七万三九八〇円であり、申請人の場合も昭和五五年六月当時生活費は質素に生活すれば一ケ月七万円ないし八万円程度で済んでいたこと(もっとも、当時は会社の従業員寮に住んでおり、寮費を払っていなかった上、食事は寮母の作るものを食べていたため、食事代も安くついていた。)、申請人は昭和五三年三月頃までに軽四輪乗用車を月賦で購入して通勤用に使用しているが、その経費は毎月一万円余であること、本件解雇後自己を支援する組合員らからの救援金(いわゆるカンパ)を受けたこともあったが、解雇当時預金がなく、生活費、闘争費用、裁判費用に窮したため、多額の借金をし、前記の賃金収入によって少しづつ返済していること、訴訟代理人である弁護士に支払うべき日当その他の諸費用は一部しか支払っておらず、母親に対する仕送りも殆どしていないこと、申請人は既に三〇歳を越えており、結婚に備えて預金等の準備をしておく必要があること、以上の事実が一応認められる。
そこで、まず過去の賃金の仮払の必要性について考えるに、右認定の諸事実を総合して判断すると、昭和四八年四月一二日から昭和五二年一二月二〇日までの間の未払月額給与五三一万〇六四五円(但し、右期間内の月額給与額から未払賃金の一部に充当された解雇予告手当を控除したもの)と昭和四八年度から同五二年度までの間の各種未払一時金二四二万七四〇〇円との合計七七三万八〇四五円のうちの七五〇万円の限度で仮払の必要性があるものと認めるのが相当であるが、その余については今直ちにその仮払を受けなければ申請人の生活が困窮し回復し難い損害を蒙るものとは認められない。
次に、地位保全及び将来の賃金の仮払の必要性について判断するに、右認定事実によれば、申請人は昭和五四年五月以来庄内運輸の正規従業員として稼働し、会社から支払を受けるべき月額給与を上回る賃金収入を得ており、かつ、庄内運輸において各種の社会保険にも加入しているのであるから、地位保全及び将来の賃金の仮払の必要性はないものといわざるを得ない。申請人は、会社において組合活動をする必要性を地位保全の必要性の一事由に挙げているが、組合活動をする権利は雇用契約上の労働者の権利とは言い難いから、そもそも被保全権利性を有しないものというべきである。
一〇 結論
以上の次第であって、申請人の本件申請は、被申請人に対し七五〇万円の仮払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川端浩 裁判官 棚橋健二 裁判官 山田貞夫)
抗弁二2(解雇事由)
(一) 昭和四八年一月二五日の申請人の言動
(1) 申請人は、復職第一日目の同日朝、上司である電炉係田中組長に「事務所へ挨拶に行く。」と告げて仕事場を離脱し、午前八時二〇分頃総務課事務室へ入るやいなや、執務中の和泉労働係長の席に詰め寄り、「おい、俺を殺す気か。」「おい、和泉、ペテンにかけたな。」「六ケ月間の体を慣らす期間のことはどうなんだ。」等と大声で暴言を繰り返し始めた。これに対し和泉係長は、「ここは来客があるから、第三応接室で話をしよう。」と申請人を促して第三応接室に入り着席したところ、申請人は、「ここで良い。ここでまずいことがあるのか。どうなんだ。ばかやろう」等と暴言をなおも事務室内や廊下で繰り返していたが、暫くして第三応接室に入り、和泉係長の右隣にあった椅子を同係長の方に向けて強く足で蹴飛ばし、手に持った作業用ヘルメットでテーブルを連続的に強打しながら「俺を殺す気か。」「お前は今労働者の一生を踏みにじろうとしているんだぞ。」「ばかやろう」等と大声で暴言を繰り返し、同係長に詰め寄った。
(2) 和泉係長は、なおも申請人に対し、「座って話をしよう。」とたしなめたが、申請人は「立ったままで良い。」と言って従わず、前同様の暴言を繰り返した。このような申請人の大声に驚き、それまで更衣室にいた山上総務課長、林製造課長も第三応接室にかけつけた。これに対して申請人は、なお「ばかやろう」「ふざけるな。」「お前ら人間の血が通っているのか。」「はっきりしろ。答えられんだろう。」等とわめき続け、山上課長が「静かに話をしよう。」と言うと、「お前はどう思うのか。」等と言って作業用ヘルメットを同課長の方に向けてテーブルの上に投げつけた。
(3) 申請人は午前八時三五分頃「話をするから待ってろ。」と言い残して一旦第三応接室から退去したが、すぐテープレコーダーを持参して来て再び事務室内に入り、大声で前同様の暴言を繰り返したので、和泉係長が申請人に対して「第三応接室へ行こう。」「テープを切りなさい。」と指示し、林課長とともに第三応接室へ入った。続いて山上課長も右応接室へ向かおうとしたところ、申請人は事務室の中央入口付近において同課長の前面に立ちはだかり、右手を真直く伸ばして同課長の目を突かんばかりの距離に指を突きつけ、「信義だな。」「ばかやろう」等と言い、同課長の進路を妨害した。更に、申請人は同課長に対し、「おい、体を押したな。」「お前ら人間の血が通っているのか。」「俺の一生を踏みにじるのか。お前が会社をやめたら信じてやる。さあ答えろ。」等と大声で暴言を吐き続けた。
(4) その後、山上課長も第三応接室に入り、林課長、和泉係長ともども申請人に対し入室を要請したが、申請人はこの指示に従わなかった。そこで右三名は口々に申請人に対して「ここはお客が来るところだから大声を出すな。」「テープを切って下さい。」「中に入って話そう。」「大声でわめくことがいけないのだ。」「製造課の上司として命令する。中に入りなさい。」等と申請人が冷静に話合いに応ずるようにたしなめ続けたが、申請人は「何が命令だ。」「労働者の一生がかかっているんだ。」「お客に聞かせようじゃないか。」「人間の良心が痛まないのか。」「お前ら人間の皮をかぶったけだものだ。」「ここで良い。」等と更に大声で暴言を事務所と第三応接室間の廊下に立ったまま繰り返し続けた。
(5) このような状態ではとても申請人と冷静に話合うことは困難であると判断した山上課長ら三名は、第三応接室の西出口から事務室へ戻り、和泉係長と山上課長は自席に着いた。すると申請人は右三名を追いかけて再び事務室内へ入り込み、和泉係長に詰め寄り、「おい和泉、お前は今労働者の一生を踏みにじって殺そうとしているんだぞ。ばかやろう、話をしろ。話はついたか。」等と大声で罵声を浴びせた。その時和泉係長に外部より電話がかかってきていたのであるが、申請人の罵声で充分内容が聞き取れなかったため、同係長が「電話が聞こえない。」「大きな声を出すな。」「勤務中だから仕事の邪魔をしないで下さい。」等と注意を与えたが、申請人は「なんだ、ばかやろう、電話なんか早くやめろ。」等と暴言を口にし、更には同係長の机を手で強打して同係長を威嚇した。
(6) その後、申請人は山上課長にも詰め寄り、「なんだ、お前ら、それでも人間か。人間的良心があるのか。お前らは、今労働者の一生を踏みにじろうとしているんだぞ。お前は、お前は。」とわめき、持っていたタオルや手で同課長の机を強打して同課長を威嚇したので同課長は危険を感じて椅子から立ち上がった。
(7) そこへこの騒ぎを聞きつけて申請人の上司である櫟原電炉係長、米倉電炉係工長、井神工程係長の三名が事務室に現れ、まず櫟原係長が申請人に対し、「現場に戻って仕事をしなさい。」「今は勤務時間中だから上司の言うことを聞いて下さい。」等と指示を繰り返したが、申請人は「俺は労働係へ挨拶に来たんだ。俺は今ここで仕事をしているんだ。」等と言い、右指示を無視した。そのため林課長は櫟原係長に対し、「山下君をすぐ現場に戻しなさい。」と命じ、同係長が申請人に対して「現場に戻って仕事をしなさい。」と命じ、同係長が申請人に対して「現場に戻って仕事をしなさい。」と命令を繰り返したが、申請人は「ふざけるな、何が命令だ。」と怒鳴って同係長にくってかかり、林課長に対しても「何だ、林、お前は命令一本で労働者をこきつかおうとしている。」「どうなんだ。人間的良心があるのか。」と罵声を浴びせ、更に和泉係長らに向かって「本人の意思を尊重すると言いながらペテンにかけて」「おい、和泉、はっきりしろ。」等と暴言を繰り返した。
(8) その後も申請人は「話がついていない。」等と暴言を繰り返していたが、午前九時頃になってようやく電炉係長、工長とともに事務室から退去した。
(二) 昭和四八年一月二七日の申請人の言動
(1) 当日年次有給休暇(以下年休という)を取っていた申請人は、午前一〇時二五分頃、テープレコーダーを持参して総務課事務室に現れ、和泉係長と山上課長に面会した。そして、第三応接室で右両名と話合いを始めるに際してテープレコーダーを作動させ、右両名より「テープを切りなさい。」「五分間待つからテープを切りなさい。」等と指示を受けたのにこれを無視しテープを回し続けたまま「俺を廃人にするつもりか。」「俺は今朝食べた朝飯を全部吐いたのだ。」「俺を殺すつもりか。」「ばかやろう、テープを切る理由について示せ。」等と二五日のときと同様の暴言を大声で口にし続けた。話合いが充分できぬまま午前一〇時三五分頃、山上課長と和泉係長は事務室へ戻り、自席に着いたが、申請人は「話が終っていない。」と追いかけて事務室内に入り、「何が恐い。」「お前が悪いことをしていると自覚しているから、テープを切れと言うのか。」と山上課長に詰め寄った。しかも山上課長が申請人に対して「仕事の邪魔をしないで下さい。」と要望しても全く従わず、和泉係長が山上課長の所へ書類を持っていくと、申請人は「おい、俺が話をしているのに何だ。」と同係長に詰め寄ったので、同係長が「仕事中だから邪魔しないでくれ。」とたしなめたが、申請人は「俺も仕事をしているのだ。」と言って同係長の要求に従わず、「三日目で朝飯全部吐き出してしまったから、今日は年休で休んだのだ。」「人間的良心があるのか。」と大声が繰り返し、手で山上課長の机を殴打して威嚇した。そのため山上課長、和泉係長が「業務の妨害をしないでくれ。」と繰り返したが、申請人は「お前らが最初に言ったことを知っているか。だけど全部ペテンじゃないか。」「テープがあると話をしないというのは、組合に暴露されるのが恐いのか。」「この間和泉が、テープがあるから気をつけてくれと言ったのは、お前らが悪いことをしているという前提があるからだろう。」等の暴言を大声で繰り返し続けた。
(2) その時ちょうど井神工程係長が山上課長の所へ書類を持ってきていたので、山上課長が「仕事の邪魔をしないで下さい。」と申請人に指示したが、申請人は、「お前は今人一人を殺そうとしているんだぞ。何が仕事だ、俺が今話をしているんじゃないか。」と叫びながら同課長の机に体をぶつけたり、手で机を殴打しながら同課長を威嚇し罵声を張り上げた。
(3) ところで、井神係長が持参した書類には機密の数値が存在したのでテープレコーダーのあるところでは話ができない上、申請人が右のように大声や有形力を用いて威嚇するため、右両名が事務室を出ようとしたところ、申請人は山上課長の前に立ちはだかり進路を妨害した。そこで、井神係長が同課長を外へ誘導しようとしたところ、申請人は「何だ、お前、押したな。」と同係長にくってかかった。そして、山上課長、井神係長及び申請人は事務室を出て第二応接室へ向かった。申請人は廊下でなおも暴言を繰り返していたが、第二応接室で打合せを始めた右課長らに向かって、「会議は何時に終るんだ。」「どうなんだ。」「また来るぞ。」と大声で言い、突然工場長室に入り込んだ。しかし、工場長より退去命令を受け、申請人は数分で同室より退去し、その後廊下で「話が終っていない。」「何分待つんだ、何分」等と怒鳴り続けていたが、午前一〇時四五分頃事務所から退出した。
この間の事務所内の雰囲気は二五日のときと同様異常となり、関係者はもとより他の事務室在席者七名も正常な業務遂行を著しく妨げられた。
(三) 昭和四八年二月一三日の申請人の言動
(1) 櫟原電炉係長は午前八時二〇分頃平常どおり朝の現場巡視のため南電炉工場に行き、一〇三号炉前で田中組長と業務打合せをしていたところ、申請人が手洗場の方から近寄って来て、右両上司との間で次のようなやりとりを行なった。
申請人 「おい、話がある。」
係長 「何の話だ。今は仕事中だから後にしてくれ。」
申請人 「俺の体のことだ。お前はどう思うのだ。おい、こら、どう思うのだ。」
係長 「今は勤務時間中だから、君も仕事につきなさい。」
組長 「山下君、仕事につけ。」
申請人 (田中組長に向かって)
「何を言っとんだ。」
(櫟原係長に向かって)
「おい、どう思うのだ。このような体で電炉で働けというのか。お前は電炉係長だろう。係員のことを考えるのは当り前だろう。」
係長 「君の復職については、この前の職場懇談会の席上で、皆の前で説明してあるとおりだ。何も話すことはない。」(注、一月二七日に開かれた南北電炉班の職場懇談会の席上で櫟原係長は申請人の復職の説明をしたが、その際申請人から「俺を電炉に直ちに復職させるのを係長はどのように考えているのか。」との質問があり、これに対し「復職の可否については私には何ら権限がない。会社が規定に則り医師の判断により決めたものです。」と説明していた。)
(2) その後、櫟原係長と田中組長は、通称「排ガス処理装置」の方へ向かって歩き出そうとしたところ、申請人は右両名の前方に立ちふさがり、右両名特に櫟原係長の歩行を殊更阻止しようとの挙に出た。そのため右両名はやむなく進行方向を若干変えることにより申請人の横をすり抜けようとすると、申請人は更に右両名の前方に立ちふさがり進行を妨害するという行為を繰り返したので、右両名はジグザグの形で辛うじて前進できるといった状況であった。この間、櫟原係長と田中組長は、申請人に対し何度も「仕事の邪魔をしないでくれ。」「君も仕事をしなさい。」との業務命令を出し続けたが、申請人はこれを全く無視し、更に激昂して大声で「おいどうなんだ、説明しろ。」「お前はどう思うのか。」と怒鳴り続けた。
(3) 櫟原係長と田中組長が排ガス処理装置付近のケレン場までたどりついたところ、申請人は、櫟原係長に対し大声で「何も言えんのか。」「どう思うか。」と怒鳴りつつ、手にしていたケレン用鋸刃の先を同係長の胸元に突きつけ、強く突くという暴行行為に及んだ。申請人の右暴行行為は櫟原係長の作業服の上からなされたものであったとはいえ、相当強い力であったため、同係長の胸に直接響く程であり、同係長に恐怖感を与えた。そのため、櫟原係長は申請人に対し必死に「暴力はよしなさい。」「仕事につきなさい。」とたしなめ、横にいた田中組長も同様に「それは暴力だ。やめろ。」「明らかに暴力だ。暴力をふるうのはやめろ。」「それは凶器じゃないか。」と述べて、申請人の右暴行をやめさせようとした。しかし、申請人は一層興奮し、田中組長に対し「何が凶器だ。」「ばかやろう、てめえみたいのは引込んでおれ。」と大声でくってかかり、更に櫟原係長に対し「どうなんだ。」「何とか説明せんか、何とか言え。」「ばかやろう」と言いつつ、同係長の胸をケレン用鋸刃でなおも突き続けた。同係長は一層身の危険を感じつつ、申請人に対し「もう何も話すことはない。」「話すべきことは話してある。」と繰り返したしなめ続け、一方で田中組長に対し「労働係に電話して来て貰うように」と指示した。同組長は、午前八時四五分頃南電炉東入口付近まで急行し、同所付近にある電話で和泉労働係長に対し、「今南電炉工場で山下が櫟原係長に暴力をふるっておるから、すぐに来て下さい。」と連絡し、これを受けた和泉係長は林製造課長とともに南電炉工場に急行し、一〇三号炉前付近で田中組長から説明を受けた後、申請人らの方へ近付いていった。
申請人は、和泉係長と林課長の姿を見かけるや、それまで櫟原係長に対し興奮して大声で怒鳴りつけ、ケレン用鋸刃で胸元を突き続けていたのを急にやめ、鋸刃を胸元から離し、同係長に対し「ばかやろう」と言い残して離れていった。